25/01/2024

2024.1.25(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編89編16節
幸いな者、喜びの叫びを知る民は。
主よ、彼らは御顔の光の中を歩みます。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書8章12節
私は世の光である。私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今冬最大の寒波が、日本列島を襲っています。仙台の街も昨晩から雪が降り始めました。朝起きて外を見ると、一面の雪化粧。少しではありますが、雪も積もっています。今日からアシュラム(祈りと黙想の集会)で滋賀に行きますが、今かの地は大雪のなかにあると聞いています。北陸の被災地も、雪のことが心配です。これ以上、雪による弊害がありませんようにと、まず祈る一日が始まりました。
 
さて、今日の旧約聖書と新約聖書を結ぶテーマは「神による光」であると、私は受け止めました。神が放たれる光に、私たちひとりひとりは、暗闇のなかをさまよい歩くことなく、安心してその光に導かれながら歩むことができる。そんな希望に満ちあふれたメッセージが、今日選ばれた聖書の言葉です。
 
不安は怒りを引き起こすと、先日読んでいた本の中に記されていました。私自身、怒りの感情というものと闘いながら、毎日を過ごしています。元来、私のことを正直に申し上げれば、怒りという感情に負かされている自分自身があることに気付かされています。しかし、この怒りの感情というものに、どのように付き合いながら過ごすことができるだろうか。その感情を無駄に、短絡的に表出することのないようにするためには、そもそも今抱えている怒りは、どのようなところから来るのかということを、その都度、丁寧に分析することにしています。
 
今日の聖書の言葉に触れて思うことは、大体は自分自身の「不安」から来ていることを思わされます。不安は、先行き見えない状況にこそ起きてくるものであると私は思っています。先行き見えないほど、周りは物事がはっきりと見えない。かすんで見える、もしくは、暗闇であるがゆえに、どこを歩いて良いか分からない。そんななかに立たされるときに、不安を抱き、不安からどうしようもない怒りを発するのだと、私は自分自身のことを思いながら感じるのです。
 
だからこそ、今日の聖書の言葉にも記されているように、光の源である神、そして私は世の光であると公言された救い主イエスの言葉に慰められたい。励まされたい。怒りがあるときには、そんな自分自身に「安心して!」と神が語りかけてくださっていることを、いっぱいにイメージしたい。そんなことを願わされます。そうすることで、その場で冷静になれる。自分自身を発見することができるのです。本当に感謝なことだと思います。
 
神の放たれる光は、こうして自分自身を整え、神と共に歩む幸いというものを真ん中に置きながら、今日という一日を主とともに歩むことができるために、無くてはならないものとなっていく。そんなことを胸にして、今日の一日を歩んでいきたいと思わされました。
 
皆さんの新しい一日に、少しでも不安から解き放たれる神の光によって、幸いな時が与えられますように。お祈りいたします。

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