22/01/2024

2024.1.22(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書45章8節
天よ、上から水を滴らせよ。
雲よ、義を降らせよ。
地よ、開いて、救いを実らせよ。
正義を共に芽生えさせよ。
私は主、私がこれを創造した。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ペトロの手紙二3章13節
しかし、私たちは、神の約束に従って、義の宿る新しい天と新しい地とを待ち望んでいます。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
主の日も終わり、また私たちは新しい平日の日々へと遣わされようとしています。一週間の働きが、神の御心によって十分に導かれた時となりますように。そのようななかで、本日選ばれたローズンゲンのふたつの聖句は「義(正義)」という言葉が、共通するキーワードとなっています。神の正しさ。私たちはそんな言葉を思い巡らせながら、今日の聖書の言葉を黙想したいと思います。
 
旧約聖書・イザヤ書の言葉は、自然界における天地の恵みが降り注がれるように、神の正しさもまた降り注がれるのだという、神による宣言の言葉です。神の正しさはどこにあるのだろうか。私たちはそんなことを思わされます。私たちもまた正しさを看板に掲げながら日々の生活を営んでいるわけですが、その正しさはどこから来るのだろうかと考えさせられます。そしてその正しさが行使されたときに、そこに「ゆがみ」というものが存在していないだろうか、そのゆがみのゆえに、隣人が痛みや苦しみを被っていないだろうかと。
 
もし、そういうことが少しでもあるとするならば、そこに神の正しさが現れてはいないのではないだろうかと、私たちは真剣に考える必要があるのだと私は思うのです。神の正しさは私たちを窮屈にさせるのではなく、あくまで水の滴りやうるおいというものを私たちの命に与え、活き活きとした生活を営むように導かれるからです。
 
ただし、私たちのうちにゆがみがある以上、神の正しさを100%あますところなく自分自身の生活に反映できるということはあり得ません。だからこそ、少しでも神の正しさが何であるか。その正しさによって歩むことの幸いであるとか、窮屈なようで実は自由をもたらすものであることへの深いイメージというものを抱きながら、与えられた日々を歩んでいきたいと、私は今日の聖書の言葉を通して感じさせられました。
 
今日も、神の正しさが皆さんの生活を豊かにしてくださいますように。お祈りいたします。

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