詩編119編19節
私はこの地では寄留者です。
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二5章1節
私たちの地上の住まいである幕屋は壊れても、神から与えられる建物があることを、私たちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住まいです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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皆さん、おはようございます。
今日はきびきびと動くことができず、ローズンゲンを開いて黙想するのが、今頃(15時半)になってしまいました。毎日続けようと今年は決めているのですが、決して無理をせず、朝にお届けできなくても、その日のうちに綴れればそれで良しと思うようにしています。楽しみにしてくださっている皆さまには申し訳ありません。どうぞお許しください。
今日の聖書の言葉で、私が注目したのは「寄留者」という言葉でした。別な言い方をすれば、今の居場所に定住することなく、こういう言い方が適切であるかどうかは分かりませんが、いわゆる「根無し草」のような状態にある状態のことを「寄留者」という言葉を使って表現できるのだと思います。
そういう意味で言えば、今日の詩編の一片を歌った詩人が、自分自身のことを寄留者と呼んでいることについて、どのような思いでそのような告白をしているのだろうかと思わされました。「この世界では安住できない」ということを意味しているのだろうか。だとすれば、人生のなかでいろいろな波風にさらされながら、究極の安住は得られない。それが人生なのだろうなと思わされます。
しかし、そのようなはかないと思える人生のなかでも、神が寄留者の命を守り、人権や尊厳を与えたという、旧約聖書の記録に私は心を寄せたいと思わされました。それが、今日の新約聖書の言葉にあらわれた「神から与えられた建物」の意味するところであると受け取りました。それは、どんなに素晴らしい人生設計をしたとしても、私たちの手によって造られたものには、完全完璧なものなどないことを、またプラン通りにはいかないとしても、それは私たちが寄留者だから。しかし、その寄留者をも神は大切にされ、住まいを与えてくださるのだと。
今日もこれから日が暮れ、夕べが訪れ、夜を迎えます。そのひと時に、神の与えてくださる住まいの平安がありますように。お祈りいたします。
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