士師記10章10節
イスラエルの人々は主を叫び求めて言った。「私たちはあなたに罪を犯しました。私たちの神を捨てました。」
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書1章76~77節
あなたは
主に先立って行き、その道を備え
主の民に罪の赦しによる救いを
知らせる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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皆さん、おはようございます。
今日選ばれたふたつの聖書の言葉に共通するのは「罪」というワードです。罪は、私たちにとっては一般犯罪のようなイメージが先行しますが、聖書の語る罪とは、一般犯罪はその結果生じるものであって、もっと根源的なものに注目します。なぜ犯罪が起こるのか。それは、私たちと神との関係性の問題であると、そのことを聖書は言及しています。
イスラエルの民たちが「私たちが神に罪を犯すこと」と「私たちが神を捨てること」を並列して語っているのが、今日の旧約聖書である士師記10章に記されている言葉の意味です。具体的に彼らは「バアルに仕えた」と、自分たちのことを語っています。バアルとは五穀豊穣をもたらす神であり、彼らは父なる神よりも、より自分たちを豊かにしてくれそうな神を選び取ることで、神を捨てたというわけです。
私たちにとって神とは何か。自分たちの利益追求のために利用する存在なのか。より良い効果を求めて神を頼るならば、それは実に我田引水的な神との関わりに過ぎないということです。効き目がなかったら簡単に捨ててしまう神に成り下がってしまうのです。それをさも雇用者のように取り扱ったイスラエルの民たちは、実に「思い返した」。これこそ私たちの「悔い改め」ということの意味なのだと、私は受け止めたいのです。
そのために、救い主イエスに先立つ道備えをするために、洗礼者ヨハネの存在が与えられました。ヨハネが生まれたときに、そのことを喜んだ父ザカリアは、今日の新約聖書の言葉に示された言葉をもって、神である主を賛美しました。「罪による救いを知らせる」という使命です。まさにヨハネに与えられた生涯の使命とは、罪によって隔絶された神との関係性を修復することにあった、ということです。
クリスマスに先立つアドヴェントの期節は、私たちの罪を想う日々であることを、今日のふたつの言葉から受け止めたいと心から願います。どうぞ今日の一日もすてきな時でありますように。お祈りいたします。
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