06/12/2023

2023.12.6(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書60章20節
あなたの嘆きの日々は終わる。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書1章14節
言は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日の旧約聖書の言葉である「あなたの嘆きの日々は終わる」という、イザヤ書60章20節の言葉ですが、これは20節の最後に書かれている一文であって、20節全体を見ると、次のように記されています。
 
あなたの太陽は再び沈むことがなく
あなたの月は欠けることがない。
主があなたにとって、とこしえの光となり
あなたの嘆きの日々は終わる。

どうして、私たちは嘆きに終わりを告げることができるのか。それは、光を放つ太陽や月がその光輝というものを終わらせることはないのだ。たとえ沈んでも欠けたとしても、神である主が、あなたを輝かせ続けるのだから、あなたはもう、これ以上嘆き悲しむことはないのだと、力強い保証の言葉として、私たちを励ましてくださるということなのです。
 
そして、この保証の言葉は、神が放たれる栄光の具体的な姿として、父なる神の独り子であるイエスに受肉された、つまり、生きた人間として私たちのもとに現れてくださったのだというのが、今日の新約聖書であるヨハネによる福音書1章14節の指し示すメッセージであると言えます。クリスマスにしばしば読まれ、語られる聖書の言葉ですが、クリスマスとは、神の独り子にして神であるイエスが、私たちと同じ人間のかたちをとられることで「まことに人にしてまことの神」となられる序章が始まったことを記念する祭りであると言えます。
 
クリスマスという祭りを、誰が祝うようになったのか。少なくとも後代のクリスチャンたちが、自分たちのキリストを想うひとつのかたちとして、つくり上げられた祝祭であることは間違いありません。別に聖書で祝いなさいという命令があったから祝うという種類のものではないことは明らかです。そういう意味では、クリスマスという祭りそのものが、非聖書的と考えておられる方々もおられます。私は、そういう人たちもいて良いのではないかと思ったりしています。
 
しかし、たとえそうであったとしても、クリスマスという祭りを通して、私たちは今日の聖書の言葉のように、神の言葉から救いという言葉を、嘆きからの解放という神の御業を、心から黙想しつつ、救い主が与えられたことの幸いと喜びを、味わうことができるのだと心から願いたいのです。だから、今年もやって来るクリスマスを心から祝いたいし、そのための備えのときを、じっくりと持っていきたいと心から願いたいと思わされます。
 
今日の一日もまた、そのような神が与えてくださる幸いに包まれながら生きることができますように。お祈りいたします。

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