31/12/2023

2023.12.31(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書54章7節
ほんの僅かな間、私はあなたを捨てたが
深い憐れみをもって、あなたを連れ戻す。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
テサロニケの信徒への手紙二2章16~17節
私たちの主イエス・キリストご自身と、私たちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださった、私たちの父なる神とが、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い行いをし、善い言葉を語る者としてくださいますように。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
2023年もとうとう最終日となってしまいました。この一年、私たちの世界は、コロナ禍からの解放、ウクライナやパレスチナの地における戦火、日本においては政治の混乱などなど、まさに激動の一年であったと言えるでしょう。そんななかで、私は思います。「神に見捨てられたような感覚」を持たれた方々がどれだけいるだろうかと。
 
今日の旧約聖書の言葉には、神が「ほんの僅かな間、あなたを見捨てた」と預言者を通して語られています。確かに、イスラエルの民は神から見離されたような感覚に陥ったことがありました。長年にわたって囚われの状態の時もありました。祖国を追われて辛酸をなめなければならないこともありました。
 
しかし、これは神によるいたずらだったのでしょうか。私たちは自分自身のことを棚に上げて、神に自分たちのことを守ってくれないと不平不満をたらしてしまうのでしょうか。私は思うのです。こういう辛い時にこそ、私たち人間にすべきことはないのだろうかと。見捨てらえれた嘆き続けるのではなく、その嘆きを通して私たちが得るものはないのだろうかと。
 
神は「深い憐れみをもって、あなたを連れ戻す」と、約束してくださいました。実は私たちは神に見捨てられていなかったのです。見捨てられたような感覚を抱くことがあったとしたら、それは私たちがそのことを通して、何かを学び取る機会を、神は憐れみのうちに与えてくださっていたのかもしれません。それが、神による連れ戻しの準備の時であるのだと、私は受け取りたいのです。
 
神はいたずらに私たちを見捨てたりはしない。しかし、その安心感ゆえに、私たちが知らぬ間に神との関係性が希薄になってしまうとき、私たちにはやはり、神の慰めと励ましに基づいた自己発見の機会がやはり必要なのだと思わされます。
 
この一年間、ローズンゲンというほんの短い聖書の言葉から、私たちは神との関わりにおいて自己を発見し、神とともに歩む幸いを見い出す機会が与えられたことに、心から感謝いたします。来たる2024年も、ローズンゲンを通して、神の言葉をいただき、黙想しつつ祈る。そんな機会を共有できればと心から願います。一年間、お世話になりました。そして、来年もよろしくお願いいたします。

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