イザヤ書44章6節
私は初めであり、終わりである。
私のほかに神はいない。
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書6章9節
だから、こう祈りなさい。
「天におられる私たちの父よ
御名が聖とされますように」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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皆さん、おはようございます。
今日の新約聖書の言葉は、イエスによって教えられた「主の祈り」の冒頭部分です。「み名をあがめさせたまえ」という箇所ですが、「あがめる(崇める)」という言葉が「聖とされる」という表現になっています。もっとも、カトリック教会や聖公会などでは、もとから「聖とされますように」という主の祈りが、祈られ続けています。
私たちは、神が聖なる御方であるからこそ、神をあがめる者とさせられるわけですが、しかし、それでも「あがめられますように」と「聖とされますように」では、やはりニュアンスというものが違ってくるのではないか。そう思ったのです。そして、私は「聖とされる」という表現にこそ、神が私たちにとってどういう御方であるかということを、より一層クリアなものにしているのだ。そのように受け取りました。
私たちがあがめようともあがめまいとも、神は聖なる御方であられるのだということを、私たちは自分たちの祈りのなかで告白する。ここに、今日の旧約聖書の言葉へとつながっていくのだと私は感じました。「私のほかに神はいない」と、神はご自分の民に告げられ、その初めも終わりも、すべて神がつかさどっておられるというところにこそ、神がご自分の聖性というものを保たれているのだと、私は受け取ったのです。それは、私たちの自意識に関係のないところで、神は動き、働いておられるのだと。
神が、そのような「聖なるもの」を掲げておられることこそ、私たちの生き方にも関わっておられることをイメージしながら、今日の一日を過ごしてまいりたいと思います。皆さんの一切に、神からの祝福と守りをお祈りいたします。
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