17/12/2023

2023.12.17(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
民数記23章19節
神は人ではないから、偽ることはない。
人の子ではないから、悔いることはない。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二1章18~19節
神は真実な方です。だから、あなたがたに向けた私たちの言葉は、「然り」であると同時に「否」であるというものではありません。私たち、つまり、私とシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、「然り」と同時に「否」となったような方ではありません。この方においては「然り」だけが実現したのです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、こんばんは。昨日の黙想に引き続いて、今日のローズンゲン黙想をお届けしたいと思います。本当は朝にお届けしたいのですが、私の要領の悪さというか、なかなか朝にお届けできずに、今頃の時間帯になってしまうことがあることを、お許しくださればと思います。
 
今日は待降節(アドヴェント)3回目の日曜日を迎えることができました。朝礼拝に続いて、夕礼拝のひと時も持つことができました。いつになく寒く、夕礼拝の始まるころからちらついていた雪も、礼拝の終わるころにはうっすらと積もっていました。ホワイトクリスマスを感じさせるひと時を思いました。
 
神は私たちに対して、偽ることも悔いることもない。今日の旧約聖書の言葉である民数記の一節は、そんなメッセージを私たちに与え手くれます。神が私たちを造られたことを悔やまれることはあるのだろうかと、私は思ってしまうことがあります。この世界が、そして私自身の生活が、神が私たちに注がれる愛とは真逆の方向に進み行こうとしているときに、こんな私たちの姿を神はどのようにご覧になられているのだろうかと、私たちを造られたことを神は悔やんでおられるのではないかと思ってしまうこともあるのです。
 
しかし、そんな私たちに、救い主イエスを与えてくださったのは、他ならぬ神御自身であることを、私たちはこのクリスマスシーズンの時に知るに至らされているのです。しかも、無条件で、私たちの資質にかかわらず、神は救い主をお与え下さったほどに私たちを愛されている。これが聖書の語るメッセージとして私たちに与えられている保証。そしてイエスという信仰の実体が与えられたことへと相通じるのだと。ここに偽りなく、神が当初の約束を果たしてくださったというのです。
 
この神の御心を余すところなく私たちに示されたのが、救い主イエスでした。すべてが然りのうちに実現されたと、使徒パウロは書き綴りました。イエスには偽りがなかった。私たちに真摯に向き合われ、それは今日においても、私たちに向き合ってくださる方であることを、私たちはクリスマスが近づきゆきある今こそ、心から受け止めていきたい。そのように願わされます。
 
どうぞ、明日からはじまるウィークデイの日々に、真実なる神の助けと祝福がありますように。お祈りいたします。

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