13/12/2023

2023.12.13(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編139編4節
私の舌に言葉が上る前に
主よ、あなたは何もかも知っておられる。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙一4章5節
主は、闇に隠れた事を明るみに出し、人の心の謀をも明らかにされます。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日は、代務教会である仙台北三番丁教会のもろもろの教務があり、ローズンゲン黙想をお届けするのが今の時間帯になってしまいました。この後、夕の祈祷会がありますが、その前に、あらためてローズンゲンに示された御言葉の黙想をお届けしたいと思いました。一日を締めくくる皆さんのひと時のなかで、黙想の一助になればと願います。
 
今日の旧約および新約聖書を貫くテーマは「神は私たちの心の内をすべてご存知である」ということを受け止めました。普通、私たちは自分自身の心が見透かされているというのは、決して嬉しいものではないと思うのではないかと思うのです。誰とて、心のなかにやましいものがあり、それを隠しておきたいと思うようなことがある。子どもですら、何かを一生懸命隠そうとする知恵が芽生えるのです。しかし、たとえ一生懸命隠そうとしても、親にはすぐにばれてしまうなんていうことが、私たちの記憶にいくらでもあると思うのです。
 
神は、私たちの親のような存在であると、聖書は神のかたちについて多々述べていることは、私たちはよく知っていると思います。その親を目の前にしては、私たちのしていることなどすべてお見通しなんだと。今日の聖書の言葉は、そういうことを私たちに伝えているものなのだと、私は感じてしまいます。
 
だからと言って、私たちは自分自身のすべてが神に知られていることに恐怖を抱く必要はあるのだろうか。私たちは、むしろ神が自分自身のすべてを知ってくださるということに、むしろ安心を抱けるような思いを抱きたいと思うのです。もちろん、誰にも隠しておきたいやましいことを、神に知られるというのは恐れのなにものでもないかもしれません。しかし、そういう私の姿を、ただただ成長を願い、成長に必要な言葉を与えながら、ただただ見守り、育てていこうとする親のように、神の思いに秘めた「親心」に、私たちは究極的な安心を得ることができるのだと思うのです。言葉とは聖書の言葉を指し、親心とは聖霊なる神の助けそのものなのだと、私は受け止めたいのです。
 
どうぞ、今日の一日を導いてくださった親である神の心に抱かれながら、今日の残された時間と明日への備えのひとときすべてに、神の支えが豊かにありますように。お祈りいたします。

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