創世記2章3節
神は第七の日を祝福し、これを聖別された。その日、神はすべての創造の業を終えて休まれたからである。
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
フィリピの信徒への手紙4章7節
あらゆる人知を超えた神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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皆さん、おはようございます。
今日ローズンゲンによって選ばれた旧約聖書の言葉は、神が天地万物の創造をすべて終えられたときに、何をされたかということについて描かれているものです。創造の第7日目は「祝福と聖別、そして休息」であったことが記されています。
そのなかでも、本日注目したいのは「神が私たちを祝福し、ご自分のものとして聖別しておられる」というメッセージであると私は受け止めました。私たちはすべて、神から祝福された存在であるということです。そして特別なものとして取り分けられているということです。これは、神がいかに私たちはもとより、この世界を愛され、大切にしておられるかということを物語る言葉であると言えるでしょう。
しかし、どうでしょう。そんな神による祝福とは裏腹に、この世界には祝福とは到底感じられない出来事がどれだけあるかを思わされます。祝福というより呪いがこの世界に満ちあふれるときに、本当にここに祝福があるのだろうか、神は私たちを本当に祝福してくださっているのだろうかと、疑いたくなるような要素がいくらでもあることを思わされます。
しかし、神は明らかに祝福を携えて私たちのもとへやって来られ、私たちとともにいてくださる。そんなクリスマスが語るメッセージというものが真実であると、私たちは信じたいのです。私たちの世界に祝福を感じられないのは、神のせいではなく、神から管理を委ねられたこの世界を、私たちが我田引水のごとく利用し、悪用しているからなのです。そのことに私たちは気付かない限り、自分で自分の首を絞めるような呪いを、ずっと引きずり続けることとなります。呪いを神のせいにしてしまうような私たちの責任というものを、じっくりと考え続け、思い直す必要が私たちにはあるのだと、私は感じるのです。
神は、私たちの人知をはるかに超えたところで、救い主イエスを遣わすという超ウルトラCを成し遂げられました。そこに平和がある。「地には平和、御心にかなう人々にあれ」と天使たちが歌ったように、そこには平和という究極の祝福があることを心から願いたい。そんなことを思わせる、今日の聖書の言葉に感謝します。
皆さんの一日も、神の平和が豊かに宿る時となりますように。お祈りします。
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