09/10/2023

2023.10.9(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
箴言10章2節
不正に得た宝は役に立たず
正義は人を死から救い出す。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書19章8節
ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、私は財産の半分を貧しい人々に施します。また、誰からでも、だまし取った物は、それを四倍にして返します。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
世の中は三連休の最終日ですが、私にとってはいつもと変わらない日常を過ごしています。外はあいにくの雨模様ですが、どうぞ皆さんにとっての連休最終日の一日が、少しでも喜びが見いだせるような時となりますように。神様からの守りと平安をお祈りいたします。
 
さて、本日のローズンゲンの言葉は「財産」がテーマとなっていると私は受け止めました。私たちが生きていくのに無くてはならない財産について、しかし、その財産をどのように私たちが得、また用いることができるのかについて、ふたつの聖書の言葉は、私たちにメッセージを伝えています。
 
今日の旧約聖書の言葉にある「不正に得た富」とは何でしょうか。別に、私たちのほとんどは、自分自身が得る財産を不正行為によって得たとは考えていないでしょうし、大体そんなことからはそもそも縁遠いかもしれません。ただ、箴言の言葉によって語られているのは、不正という言葉の対極にあるものとして、「正義」という言葉が用いられていることに、私たちは注目することができるのだと思います。
 
聖書で語られる正義とは、ずばり神の正しさそのものであると、私たちは受け取ることができます。正しいのは神だけであって、その神との関係性によって、私たちは神の正しさをいただいて、自らもまた正しさを背中に背負って生きていくことができるのだと言うのです。そういうことを考えますと、財産を通して神の正しさを知るというのは、私たちの財産が、神からの頂き物であって、その用い方もまた、神の正しさが反映されるような用い方をすることができるのだと言うことを示唆しています。
 
もちろん、私たちは自由に自分の意思で財産を用いることができます。ただ、その意思が何によってつくり上げられ、構成されて、司られているのかということを、私たちは日々の営みのなかで、神との深い関わりのなかで、是非得ていきたいと思うのです。
 
のちに、イエスの心が私の心にとどまったことで、財産をどのように使うことが神の望みに応えることなのだろうかということについての逸話が、今日の新約聖書の部分です。徴税人ザアカイは、イエスと出会い、イエスの心に示された正しさが彼の心にとどまることによって、これまで不正に得ていた財産を、本当に大切なことのために用いる決断ができました。これは強いられてしたものではありませんでした。あくまで、イエスの心がザアカイの心に浸みわたったときに、ザアカイ自身の生き方が変えられたということの証左でした。
 
私たちは、与えられた財産をどのように、神との関わりにおいて、強いられることなく、しかし、進んで用いることができるのだろうか。そんなことを考えながら、祈りつつ、今週の日々を歩んでまいりたいと思います。皆さんの一切に、神様の祝福がともに、豊かにありますように。

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