24/10/2023

2023.10.24(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編40編6節
わが神、主よ、あなたは多くのことを
奇しき業と計らいを
私たちのために成し遂げられた。
あなたに並ぶ者はありません。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コロサイの信徒への手紙2章3節
知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠されています。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
随分朝が冷え込むようになった仙台の街ですが、それでも澄み切った秋空を眺めることのできる一日を迎えることができました。こういう秋晴れの時にこそ、行楽を楽しみたい思いもありますが、そういうわけにもなかなかいきませんので、与えられた務めにいそしみたいと思います。皆さんの一日の務めにも、神様が豊かに祝してくださいますようにお祈りいたします。
 
さて、今日のローズンゲンに示された旧約聖書の言葉ですが、神のなさることについて「奇しき業と計らいを」というひと言に、心惹かれました。奇しきという言葉は、私たちの常識や考えることの想像をはるかに超えたところにある、私たちの思いもつかないようなご計画を、神はお持ちであるということを、私たちに思い起こさせるものであると受け止めました。
 
私たちは、自分自身の考えで、神のなさることをあまりにも矮小化していないだろうか。そんなことを思わされます。それは、私たちが苦境に立った時、ピンチの時にこそ、私たちの限られた常識や経験で、行く道を考えすぎてしまうのだと。もちろん、現実に目を留めることはとても重要だと思います。しかし、そのことに執着するゆえに、神の与えるダイナミックさを、私たちが差し止めていないだろうかと、あらためて考えさせられるのです。
 
神は、それが私たちにために本当に良いことであるならば、必ず果たすべく働いてくださるのだ。私たちに求められるのは、神のなさることにただ希望を抱いて、そのために神の言葉を通して神の思いを尋ねて祈り、神の言葉を前に静まり、黙想して、そして神のなさることに信頼して歩むことなのだと思わされます。
 
神の言葉を前に、ただ謙遜になるというのは、今日の新約聖書の言葉に示されているのだと思います。「知恵と知識の宝」とあります。つまり、この世の中で神の知恵と知識をもって、その価値観によって生きるところには、必ず神がご自分のダイナミックさを明らかにしてくださる。その知恵と知識は、イエス・キリストの内に隠されているのだと言うのです。キリストの内に隠されたものを私たちが知るためには、キリストとの関係をいかに自分自身の中心に立てることができるか、ということなのかもしれません。
 
キリストは、すでに私たちに関係を求めておられる。私たちがキリストとの関係をつくるのではなく、キリストが差し出しておられる関係に、私たちが引っ込めている手を差し出すのだと。この手を希望をもって、キリストの前に差し出したいのです。
 
さわやかな秋空の下で、私たちが手足をしっかりと伸ばす者となることができますように。神に祈りつつ、一日を過ごしてまいりたいと思います。

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