16/10/2023

2023.10.16(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編103編10節
神は、私たちを罪に応じてあしらうことなく
過ちに従って報いることもない。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙一4章32節
神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
しばらくぶりで黙想をお届けします。先週は出張が続いて、ゆっくりと黙想する時間が、物理的にも気持ちのうえでもなかなか取ることができませんでした。しかし、昨日の主の日を迎え、また新たな気持ちにさせられましたので、今朝、黙想を綴ろうと思った次第です。今週もどうぞよろしくお願いいたします。
 
神は、私たちの罪や過ちに対して報復なさるというよりは、その罪や過ちというものに自分自身が気づけるように、忍耐強く私たちのことを見守り、そして導いてくださる方なのだと、今日掲げられた旧約聖書は私たちに伝えています。
 
しかし、どうでしょう。そのような神の忍耐強さが私たち人間の現実というものを明らかにしようとしているときに、またもや私たち人間はその神の忍耐強さを忘れたかのように、人に対してやいばを向けているのではないでしょうか。パレスチナ・ガザ地区へのイスラエル軍の侵攻が、ますます激化しています。「売られた喧嘩は買わなければならない」と言わんばかりに、武装組織ハマスがかけてきた先攻に、イスラエル軍が徹底的に報復する。イスラム教とユダヤ教という、もともとは同じ神を持つ者同士が、どうしてこのような戦いを繰り広げなければならないのだろうか。もちろん、長年にわたる政治的な経緯がありますので、部外者の私が簡単に口をはさむことができないのは重々承知しているのですが、それでも、やはり同じ神をあがめる者として、このニュースを痛まずにはいられないのです。
 
私たちは今こそ、神の忍耐強さのおかげで、どんなことがあったとしても、私たちが平安に暮らすことができることを、心にとどめ続けなければならないと、強く思わされます。神はキリストを通して、たったひとりの命の犠牲を通して、私たちひとりひとりの罪や過ちを赦してくださったのだ。だからこそ、赦された私たちに求められるのは、出会う者同士が、自分の欠けや至らなさというものに真摯に気づきながら、生きていくということしかないのだと思わされるのです。私たちが自分自身のありように気付かなければ、どんなに平和と叫んでも、究極的な平和にはいたらないのでしょう。私たちの無様なありように、忍耐強い神が本当の平和を携えて待っていてくださる。そんな神に感謝しつつ、かの地の神にある平和を祈り求めつつ、今日の一日も過ごしてまいりたいと思いました。
 
皆さんの一日にも、神の平和と私たち一人ひとりの気づきが明らかにされて、神と共に歩む幸いが豊かにありますように。お祈りいたします。

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