24/09/2023

2023.9.24(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
レビ記19章18節
隣人を自分のように愛しなさい。私は主である。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書10章33~34節
旅をしていたあるサマリア人は、その場所に来ると、その人を見て気の毒に思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
新しい一週間が始まりました。猛暑がおさまり、秋らしいさわやかな朝を迎えました。今日も、世界中の教会や集会で行われる主の祝祭を、私たちもまた祝うことができますように。すべての礼拝のためにお祈りいたします。
 
さて、今日のローズンゲンの言葉である旧約聖書・レビ記19章18節ですが、ローズンゲンに示されていたのは、その後半部分でした。自分自身を愛するように、隣人を愛しなさいという、神の命令です。いわゆる「隣人愛」のご命令です。
 
このことを考えるうえで、決して見逃すことができないのが、18節の前半部分です。こう書いてあります。
 
復讐してはならない。民の子らに恨みを抱いてはならない。
 
私はここ数日、あることからさまざまな「恨みの感情」というものに支配されています。どうしても人を恨んでしまうのです。恨みの感情というのは知らないうちに助長し、ものすごく大きなパワーというものを生み出すとおいうことを、改めて実感させられました。復讐したくなるような思いが、私を支配してまう。こんなことを目の前にして、おい齋藤!こんなんで良いのか?という声が聞こえてくるようです。しかし、そういう自分自身の姿を見ては冷静になっても、また噴き起ってくる。その繰り返しなのです。
 
おそらく私だけではないかもしれません。こういう感情を抱くのは。そういつ時こそ、苦しく辛いことはありません。今日のレビ記を見ては、まさに鉄槌を食らわせられたような気持ちになりました。復讐してはならない。恨んではならない。分かっている。分かっているけれど。。。
 
そこで、隣人を自分自身のように愛しなさいというご命令が続くわけですが、私は、最後の「私は主(ヤハウェ)である」というひと言に、改めて感謝したのでした。ここで言う主とは「私はあなたと共にいることで、あなたの神となる」という神の宣言があってこそ、私に愛の力を与えてくれるのだと。そのことを感じずにはいられませんでした。何もないところからは愛は生まれない。募るのは恨みつらみのみばかり。だからこそ、「私は主である」という言葉に、自分自身を託しながら、愛をいただきたい。そんなことを想わされたのでした。

一切に、神の平安と祝福をお祈りいたします。」

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