20/09/2023

2023.9.20(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
箴言14章26節
主を畏れるところには強い信頼が生まれる。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙8章35節
誰が、キリストの愛から私たちを引き離すことができましょう。苦難か、行き詰まりか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
昨日のローズンゲン黙想ですが、誤って18日(月)の聖句を掲載してしまいました。ご指摘により分かったものですが、訂正できないまま昨日の一日を過ごしました。どうぞ主にあってお許しください。
 
さて、昨日より「日本伝道会議」の場に出席しています。会場に約1,100名の方々、オンラインでは約1,000名の方々が参加し、日本伝道について考える機会が与えられています。とてもよく準備された会議で、いわゆる「福音派」と呼ばれている諸教会との方々との交流も、充実したものとなっています。私は全日程に参加できず、今日までの参加となりますが、最後まで楽しみたいと思います。
 
さて、今日の聖書の言葉です。
信頼とは一体何か。そんなことを黙想させられました。神に対する畏敬の念のあるところには信頼が生まれると、今日の箴言の言葉には記されています。信頼とは何もないところから生まれることは絶対にありませんし、信頼する根拠があるからこそ、私たちは信頼関係のなかで生きることができる。誰もが知っていることだと思います。また、信頼関係は簡単に壊れるものであることも、私たちはよく知っていますし、そう簡単には壊れない信頼関係というものがあることをも、私たちは知っています。
 
そんなことをいろいろ考えさせられるなかで、では、神との信頼関係はどうなのかということを考えさせられます。神との関係において、信頼を築き上げる主体はどこにあるのでしょうか。それがもし私たちの側にあるならば、私たちの築き上げる信頼関係はとても脆弱なものであると言えるでしょう。クリスタルのように、簡単に割れて壊れてしまうのです。
 
神は、人間との関係史において、人間の側がどんなに神を裏切ったとしても、そのたびごとに私たちに関係性の振り返りのようなことを気づかせてくださり、その気づきをもって神との関係を再構築するという歴史の繰り返しが行われてきたことは、聖書に書かれている通りです。そう。信頼の主体は私たち人間の側にあるのではなく、確固とした信頼の持ち主は神にあることに間違いありません。神が私たちに深い信頼を向けてくださるからこそ、私たちは信頼をもって神に応答することができるというのです。
 
それを、使徒パウロは自分の苦難の歴史を振り返りながら、信頼の基というものを「キリストの愛」と表現しています。愛は信頼の基である。そんなことを想いつつ、今日の一日を過ごしてまいりたいと願わされました。どうか皆さんの一日にも、そのような神の信頼がともに豊かにありますように。お祈りいたします。

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