19/09/2023

2023.9.19(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
エゼキエル書18章4節
すべての命は私のものである。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
テモテへの手紙一2章1節
パウロの手紙:
願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人のために献げなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
先週末に引き続き、昨日も黙想をお届けすることができませんでした。申し訳ありません。昨日は、日本基督教団大阪教区が主催する「信徒大会」のお招きを受け、カルトに関する講演をする機会をいただきました。対面・オンライン含め約60名の方々とともに、カルトについて理解を深めるひと時となり、私自身もいろいろ学ばされました。会場で、このローズンゲン黙想を読んでくださっている方にもお目にかかり、感謝の気持ちが与えられました。御言葉を通して人と人とがつながれる。そういうつながりを与えてくださる神への感謝と、読んでくださっている方への感謝の両方です。
 
さて、今日の聖書の言葉ですが、私たちは皆、神のものとされている。旧約聖書・エゼキエル書18章の言葉は、私たちの所在というものを明らかにしています。神のものとされているというのは、何も独占欲によってがんじがらめにされている状態のことを指すわけではないと私は思っています。神のものとされることで、私たちの命が守られ、大切にされ、そして私たちの命が保たれるために、ご自身の言葉と聖霊なる神の助けをもって、私たちを日々導いてくださると受け止めたいのです。
 
ある者の独占欲によって所有物とされていくような状態は、カルトの所業とも言えるでしょう。そうではなく、神が私たちとつながってくださることによって、かえって健全な自由というものを享受することできるというのです。私たちの命は神のものとされているということが、束縛ではなく解放を意味していることを味わえるような聖書の聴き方をしてきたいと思わされた次第です。
 
そして、今日の新約聖書の言葉は、願い・執り成し・感謝を、祈りを通して神にささげることができる。そんな勧めが与えられています。私たちは、御言葉に聴き、そして祈るという営みの循環を通して、神との対話というものを味わうことができるわけですが、それは同時に、神がどのような御方であるかを理解する大きな助けになるということでもあります。そういう意味では、ローズンゲンのようなたったひと言の御言葉にも、神の命があふれ、私たちの命が祝されるための要素が十分に詰まっているのだと。こういう言葉が与えられたことに感謝しつつ、今日の一日を歩んでまいりたいと思いました。
 
今日は大阪から岐阜へ移動し、第7回日本伝道会議へ出席します。皆さんの一日が、神様によって大いに祝されたものでありますように。お祈りいたします。

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