17/09/2023

2023.9.17(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書33章24節
住民は、「私は病んでいる」とは言わず
そこに住む民は罪を赦される。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネの黙示録1章17~18節
キリストの言葉:
恐れてはならない。私は最初の者であり最後の者、また、生きている者である。ひとたび死んだが、見よ、世々限りなく生きており、死と陰府の鍵を持っている。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
一昨日、昨日と、黙想をお届けすることができず、申し訳ありませんでした。そして、私たちは新しい一週間を再び迎えることができました。その初日となる主の日が、神によって十分に祝福された時でありますように。祈りつつ、今日の御言葉に聴きたいと思います。
 
今日の旧約・新約両方の言葉を通して、私たちに与えられているテーマは、私たちは神、そして主イエスによって命の道が与えられているということだと受け止めました。神に背を向けていた自分自身が、神のまなざしに促されて再び神と向き合う時が与えられるということ、今日の旧約聖書であるイザヤ書に、私は病を負っているという人はいないと書かれているのは、神のまなざしに私たちが応える時に、私たちはその視線からそれたような生き方を、あえて歩まなくても済むような喜びがあるということなのだと、私は受け止めました。もちろん、私たちは神と見つめ合うことから、無意識のうちに、そして意識的に離れてしまうこともあります。しかし、私を見つめてくださる神がおられるからこそ、そこに帰る、戻ることができるのだと言うのです。
 
そのことが、新約聖書・ヨハネ黙示録では、王であり救い主イエスが「死と陰府(よみ)の鍵を持つ」権威者として描かれています。罪の結果は死であり、罪の象徴が闇であることに連動して、死の象徴が陰府であると言えます。イエスも陰府にくだられ、三日三晩の後に復活の命をもってよみがえられました。よみがえりとは「陰府帰り」であり、死と陰府の鍵をお持ちであるイエスは、私たちに復活の命の道を与えることで、神と向き合うことの幸いへと私たちを導いてくださる。今日の聖書の言葉から私たちはそんなことを読み解くことができるのではないかと、受け止めることができました。
 
今日は日曜日。一週間の始まりがまたよみがえってきました。主イエスのご復活を喜ぶこの日曜日のひと時が、神との出会い、神のまなざしを受けつつ、神と見つめ合う喜びの時でありますように。お祈りいたします。

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