14/09/2023

2023.9.14(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編103編13節
父が子らに憐れみをもたらすように
主を畏れる者らに憐れみをもたらす。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書7章11節
あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日は、毎日「アシュラムセンター」で行われている早天祈祷会に出席してまいりました。毎日聖書を1章ずつ読んでいますが、今日は出エジプト記29章より、主幹牧師の榎本恵先生から御言葉の説き明かしがありました。神の語りかけによって、単なる物、そして肉体は献げられ、そして神によって聖別されていく姿というものに、あらためて気づかされるひと時をもつことができました。感謝です。
 
そんな祈祷会を経て、今日選ばれた御言葉に触れました。私たち人間という存在、そして肉体を持つ私たちの姿とはどういうものなのだろうか。そこには神がわが子を憐れむように、私たちひとりひとりを深く憐れんでくださるという、詩編の言葉につながっていくことを感じます。聖別されるとは、私たちが清くなるための努力の結果なのではなく、罪に汚れた私たちに、神が深い憐れみを掛けてくださる結果として、清くされていくことなのだと。そんなことを想わされます。つまり清くあることとの大前提として、神の憐れみがあるということなのだと。
 
そのことが、イエスの言葉に直結します。悪い者であることを分かっていながらも、父は子に良いものをお与えになるように、神もまた、私たちが「清くありたい」と思うところにこそ、私たちに良いものを与え、聖さをも与えてくださるのだと、イエスは弟子たちに、そして私たちに語りかけてくださるのだと。まさに、本日のアシュラム早天祈祷会で触れられた聖書の言葉に相通じると感じさせられました。
 
イエスは「清くなりたいか」という言葉を、病で苦しむ人々に語りかけられました。そうありたいとの願いと求めに、イエスは答えられました。この語り掛けに「はい!」と応える者でありたい。そんなことを想わされた次第です。
 
どうぞ今日の一日も、聖書の言葉と聖霊の助けによって語りかけられる神の声に、心から応える者でありますように。皆さんの主にある守りと祝福をお祈りいたします。

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