13/09/2023

2023.9.13(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編22編23節
私は集会の中であなたを賛美しよう。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書17章22節
弟子たちのためのイエスの祈り:
あなたがくださった栄光を、私は彼らに与えました。私たちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日は黙想の配信が夕方近くになってしまいました。私が協力牧師を務めている、宗教法人アシュラムセンターの運営委員会へ出席するため、今日と明日は近江八幡へ滞在しています。静かな環境のなかで、与えられた時を過ごすことができるのは、本当にありがたいです。午前中に移動でしたので、午後は「シメオン黙想の家」で、静かな時を過ごしていました。この場所で、今日与えられた聖書の言葉をあれこれ黙想していました。
 
今日選ばれたローズンゲンは、旧約聖書・詩編22編の言葉でした。集会のなかで私は神を賛美しようと、詩人は歌っています。ここで詩人が用いている「集会」とは、原語であるヘブライ語で「カーハール」という単語が用いられています。まさに集会と訳すことのできる言葉なのですが、これが新約聖書においては「エクレーシア」というギリシア語がカーハールと同じ意味として用いられています。つまり「教会」と訳している日本語です。
 
しかし、エクレーシアの語をより的確に訳すならば、教会よりも「集会」のほうが、やはりふさわしいと私は思います。神に集められた人たちによる信仰共同体こそ、カーハールでありエクレーシアであるというのです。もちろん、そこで神の教えをいただくという意味では教会という語の意味を現わしているのかもしれませんが、教会がそれよりも大切にしたいのは、神によって集められた共同体であるということなのだと、今日のローズンゲンに示された「集会」という言葉は表しているのだと思わされました。
 
そして、その共同体とはいったい何なのか。イエスが十字架につけられる前の晩、弟子たちとの晩餐を終え、イエスが父なる神に祈るその言葉から、イエスの望みというものを知らされます。イエスと神が一つであるように、私たちイエスの弟子たちもまた、神によって一つにさせられた「キリストの体」なのだと。これがイエスによる祈りの言葉であり、神に願っている期待なのだと。
 
ここで言う一つとは、ロボットのように一様にということではなく、いろいろな個性や賜物が与えられつつ、その個性や賜物のそれぞれが大切にされていくなかで、互いに生かし合うような形で、ひとりの神によって集められている事実を神の御業と信じる群れのことを指します。個性や賜物という小異はあれど、キリストを神とする点では大同である。そこにエクレーシアの魅力というものがあるような気がしてならないのです。
 
そのような教会の持つ魅力を、いかに信じ、神の助けをいただき続けていくか。エクレーシアに属する者として、そんなことを具体的にイメージしながら、教会に仕える者でありたいと願わされました。教会の肢とされているひとりひとりが、そのような思いをもって教会に集められていくならば、この世界にあって、神が集められた信仰共同体は、本当に魅力あるものとなるのだろうなと思います。
 
皆さんの集められた信仰共同体、集会のなかで、神によって良いものが与えられて、キリストにあって個性や賜物が十分に活かされますように。お祈りいたします。

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