12/09/2023

2023.9.12(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
出エジプト記19章4節
主の言葉:
私があなたがたを鷲の翼の上に乗せ、私のもとに連れて来たことをあなたがたは見た。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヘブライ人への手紙10章35節
自分の確信を捨ててはいけません。この確信には、大きな報いがあります。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日私たちのために選ばれた聖書の言葉を通して、特に新約聖書の言葉であるヘブライ人への手紙10章に示されている「自分の確信」とは何かということについて、少し考えてみたいと思いました。
 
私たちにとって「自分の確信」とは何でしょうか。世の中一般にとって言われている確信とは、自分自身が得た経験や知識に基づいていることがほとんどです。ですから、これが自分自身にとって「良い」と思ったことが確信となっていくのを、私たちは自分自身の出来事として知っているはずなのです。
 
しかし、よく考えてみると、それはあくまで「私がそう思っているに過ぎない」という場合がほとんどなのかもしれません。同意してくれる人が複数集まったら、その確信はさらなる確信へとつながっていくでしょう。また、発言力や影響力のある人、押しの強い、つまり強引に物事を勧めようとする人たちにとっての確信は、もっともらしく聞こえるかもしれませんが、やはり「それって、あなたの感想ですよね?」と、いつしか「論破王」と言われるようになったある人の言葉をそのまま使いたくなるようなこともあるわけです。
 
ですから、私たちは、自分が得た確信の「根拠」が何であるかを、明確にしておく必要があると私は思うのです。宗教の言葉を使うと最強になります。しかし、その宗教の言葉は、本当に神の思いや願い、つまり「御心」に基づいたものなのかを、真摯に、そして謙遜に検証して、根拠を明確にしなければならないと、自戒を込めて思わされます。でないと、私たちは簡単に、神を利用してしまう。「十戒」の第3戒には「神の名をみだりに唱えてはならない」というものがありますが、その真意は「神の名を利用して、己の願望を果たそうとすること」への警告なのだと、私は受け止めたいのです。
 
では、私たちにとっての確信の根拠とは何か。それが、今日の旧約聖書にある出エジプト記の言葉に尽きるのではないかと思うのです。「私があなたがたを鷲の翼の上に乗せ、私のもとに連れて来たことをあなたがたは見た」と。つまり、神がいついかなる時も、私たちを鷲の翼に乗せて、私たちを守ってくださったということへの確信なのです。つまり、神が私たちの中心に立って、私たちを守ってくださるというこの言葉は、私が中心に立つための確信ではなく、神が私たちの中心に立たれることへの確信なのです。だから、私たちはつねに、神が中心に立たれたうえで、では、神は何を私たちのために果たそうとしているのだろうかということを、根拠を尋ね求めながら、誠意をもって信仰者としての生活を営むことなのだと、私は受け止めました。
 
今日の一日もまた、神の豊かな御手に守られながら、神を真ん中に立てたうえで、確信を高めていくことができますように。お祈りいたします。

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