11/09/2023

2023.9.11(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編118編8節
主のもとに逃れるほうが
人間に頼るよりもよい。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
テモテへの手紙二4章16~17節
パウロの手紙:
私の最初の弁明の際には、誰も助けてくれず、皆私を見捨てました。どうか、そのことで彼らが責められることがありませんように。しかし、主はそばにいて、私を強めてくださいました。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
22年前の今日、アメリカで同時多発テロが起きました。当時、私は神学生でしたが、台風のために休校となった神学校の寮で、テレビにかじりつきながら、にわかに信じがたいこのニュースを観ていたことを思い出します。人が人に対して刃(やいば)を向けることの恐ろしさというものを、感じずにはいられません。そして、このテロが「神の名のもとになされた」ことにも、衝撃を隠すことができませんでした。神の言葉をいただき、それを扱う者としての責任というものを、決して他人事にはせず、自分自身が取り組んでいかなければならないことなのだ。そう思わされたのです。
 
そのような思いのなかで、今日与えられた聖書の言葉は、まさに人間の力に頼るのではなく、あくまで神に頼ることの大切さというものを想わされます。しかし、人間の力はたびたび、神の権威を利用して悪さすることがあります。アメリカ同時多発テロにともなう「神の名のもとに」行われたその後の報復は、本当に神の名のもとに行われるべきものなのだろうかと、ただ首をかしげてしまうばかりなのです。
 
人間は権力を持つとろくなことをしない。言い過ぎかもしれませんが、それが歴史を通して示された現実です。権力者は自分の願望を果たすために、持たされた権力を利用してさも正義をともなった、正当に物事を進めているような顔をして、神の御心を問わなくなってしまう。私も自己批判をともないながら、常に考え続けたいことです。簡単に神を利用しないように、しかし、神こそ私たちが心から頼るべき御方なのだということを希望にして、日々の生活を営みたいのです。
 
パウロは、たとえ人間が私のことを味方してくれなくても、主なる神がすべてご存知なうえで、その御心によって私を支えてくれていると述べました。私はここにこそ真理があると思います。権力におしつぶされてしまうような時にこそ、真理というものがどこにあるかが見えてきます。もちろんそれは、神を利用して悪さを働いていない場合に限ることではありますが、孤立無援のときにこそ、神が知恵と力を働かせる時がやって来る。これを希望としたいのです。神の放たれる真理をきちんと私のなかにスペースとして保っておきたい。そう思わされるのです。
 
パウロは、自分のことを味方してくれない人のことをうらみませんでした。そのことで彼らが責められることがありませんようにと、神に祈っています。まるで、イエスが十字架に架けられたときに、自分をののしる相手に対して神に赦しを乞うたあのシーンに重なります。私はついついうらんでしまいたくなります。だからこそ、このパウロの態度には驚きつつも、人に視線を集中するのではなく、あくまで神に目を注ぐことを大切にしたい。そう思わされたのでした。
 
どうか、今日の一日が、そのような神のなさる御心を尋ね求めつつ、神を利用しない思いで過ごすことができますようにと祈ります。皆さんの一日に、神からの平安と祝福が、ともに豊かにありますように。お祈りいたします。

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