08/08/2023

2023.8.8(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
エレミヤ書31章14節
私の民を良いもので飽かせる――主の仰せ。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ペトロの手紙一4章10節
あなたがたは、それぞれ賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を用いて互いに仕えなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

******
 
皆さん、おはようございます。
昨日はいつもに比べたらやや涼しい一日を過ごすことができました。夕方には心地よい風が吹きましたので、何となくホッとした思いでいます。
 
今日は夕方18時30分より、竹迫之(たけさこ・いたる)牧師と私が書いた『わたしがカルトに?ゆがんだ支配はすぐそばに』の出版記念トークイベントが行われます。対面・オンライン含めて、50名ほどの方がお申込みくださいました。本当にありがたいかぎりです。心を込めてイベントに臨みたいと思っております。
※イベントの詳細はこちらをご覧ください。東北教区センター・エマオのウェブサイトのイベントページへジャンプします。
 
さて、今日のローズンゲンに示された聖書の言葉ですが、神から私たちに贈られた「良いもの(賜物)」が、旧約・新約聖書を貫くテーマであると私は受け止めました。神はご自分の良いもので、私たちを飽かせる。つまりこれほどにと言うくらい満たしてくださるということを約束しています。そして、新約聖書では神が私たちのそれぞれに賜物を授けているがゆえに、私たちはその賜物を預かった者たちとして、それを管理し、互いのために豊かに用いなさいということが書かれています。
 
このようなことを考える際に、では、私は神からどのような良いもの、つまり賜物をいただいているのだろうかと、あらためて問われていることを思います。実は分かっているようで、私がどんな賜物を神からいただいているのかということに、気づいていない場合が多いのではないだろうか。私はそんなことを思わされるのです。
 
もしくは、こんな風にも考えることができるかもしれません。神から素敵な道具をいただいているのだけれども、さて、その道具をどういう風に使うことができるか。そもそもこの道具は何のために使うものなのだろうか。賜物の用い方というものに、今ひとつピンとこない場合もあるのではないだろうかと。そんな風にも思わされます。
 
今日の聖書の言葉によると、その良いもの、賜物は「私の民」のあいだで用いられるものであると神は仰せになられていることに注目できます。民、それは具体的にはイスラエル国民を指すのであって、人間集団のなかで用いられるものであることを意味しています。つまり、集団のなかで神の良いものが用いられることで、平和と幸福につながっていくという神の意図があることを思わされます。それが、今日の新約聖書の言葉によれば「互いに仕えなさい」という言葉が登場することで、お互いにその賜物を活かしあえるような用い方がされることを、神は期待しておられるのだと、私は受け止めたいのです。
 
私たちに神はどのような賜物を与えてくださったのだろうかということへの、具体的なイメージを抱くべく、神の御言葉に聴き祈るということを通して、その神の思いをつかんでいくことができれば、少しでも私自身が生かされていることへの感謝を抱けるだろうし、相手のことも大切にすることができるのではないだろうか。実は平和というものは、そういう小さなところから始まるということを、今日も胸にして一日を歩みたいと思います。
 
皆さんの一日に、神の平和と、与えられた賜物が豊かに活かされる幸いへと結び合わされますように。お祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿