16/08/2023

2023.8.16(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
歴代誌上29章15節
私たちは、先祖が皆そうであったように、あなたの前では寄留者であり、滞在者にすぎません。私たちの地上での生涯は影のようなもので、希望などありません。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二4章16節
だから私たちは落胆しません。私たちの外なる人が朽ちるとしても、私たちの内なる人は日々新たにされていきます。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
昨晩遅くのことです。私のもとに1通の報せがきました。「ちいろば先生」こと、榎本保郎牧師のお連れ合いである和子さんが、神様のもとに召されたという報せでした。この数か月、寝たきりの生活を過ごしておられましたが、最後はご家族に見守られながら、静かに、そして安らかに地上での生涯を閉じられたことを伺いました。
 
私は「ちいろばの女房」こと、和子さんに初めてお目にかかったのは約2年前のことでした。それ以来、近江八幡のアシュラムセンターへ足を運ぶたびに、和子お母さん(と私は呼んでいました)にお目にかかるのを楽しみにしていました。いつも、遠方から来る私のことを気遣ってくれました。
 
最後にお目にかかったのは、先月下旬に近江八幡を訪ねたときでした。いつものようにお部屋に行って、楽しくおしゃべりをしていました。すると、和子お母さんは手を伸ばして、私の頬をスリスリと触るのです。私の頬を触ると心地よいと、いろいろな方から言われることがあります。まるで和子お母さんの孫にでもなったかのような感覚でした。そして、近江八幡を離れるとき、では帰りますねと和子お母さんに再び会って言ったとき、今度は「もう帰るのか」と言われて、軽く頬を叩くではありませんか。おそらく和子お母さんは「まだまだ元気だぞ」ということをおっしゃりたかったのではないかと思うのです。また、会いに行きますねと言って別れたのが、この地上での別れとなってしまいました。
 
今朝、ローズンゲンの言葉を目にしたときに、またしても神はなんとタイムリーな言葉を与えてくださるのだろうかと思いました。たとえ外なる人が朽ちたとしても、内なる人は日々新たにされていくのです。使徒パウロの言葉です。身体は老い、死をもって朽ちていくなかにあっても、神が与えられた内なる人はますます豊かにされて、神の御許へと召されていくのだと。そこに神の大きな祝福がともにあることを、改めて信じさせられ、また思わされたのです。
 
早くにご夫君を亡くされて以来、なおも御言葉と祈りに深く自分自身を重ね合わせながら生きてこられた和子お母さん。ある日、和子お母さんが使っているローズンゲンを見せてもらいました。余白の部分にびっしりと書き込みがなされていました。私自身、ローズンゲンの編集を担う者として、こんなに愛用してくださっていることに、ただただ感謝しかありませんでした。御言葉によって新たにされる生き方というものは、こういう日々の営みから生まれているのだと。私もかくあれかしと心から想わされました。
 
今日は、黙想と言うよりは思い出を書き連ねたようなものですが、そんな時にもっともふさわしい御言葉が与えられたことを思いつつ、今日の一日を過ごしてまいりたいと思います。皆さまの一日にも、神がその生活を新たなものとしてくださいますように。お祈りいたします。

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