12/08/2023

2023.8.12(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
サムエル記上2章1節
私の心は主にあって喜びます。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書10章20節
あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
私にとって今週の一週間は、いつになくあっという間に過ぎた日々でした。しかし、週の後半は夏休みモードに入りましたので、懸案だったいくつかのことを片付けられました。明日の主日の準備もほぼ終わりましたので、今日はかねてより予定していたいくつかの用事をこなしながら、備えの一日を過ごしたいと思います。
 
さて、本日の旧約・新約聖書の両方に示されたテーマは「喜び」です。そして、その喜びとはいずれも、神に覚えられているという喜びについて、ふたつの聖句は語っています。
 
本日の旧約聖書であるサムエル記上2章は、のちにイスラエルの指導者となるサムエルの母であるハンナが、なかなか子が与えられなかったことに悩み、神に祈りと願いをささげた末、サムエルという子が与えられたことへの感謝を祈るシーンの一節です。
 
子が与えられないというのは、当時の社会では神から見捨てられているような印象を与えるものでした。神からの祝福のひとつに「子が与えられる」という考えがあったからです。ですから、その社会のなかで生きたハンナにとって、私は本当に神から覚えられているのだろうかと思ったのだろうと想像できるのです。
 
しかし、神はハンナのことを忘れるはずがありませんでした。ハンナの願いに応えられることで、神はハンナのことを覚えている。そのことを実証したのでした。主にあって喜ぶとは、神にいつも私自身が覚えられている、記憶され、見守られているというところからわき出る喜びなのでしょう。
 
このことが、本日の新約聖書にすれば「名が天に書き記されている」という表現をもって、主なる神に記憶されている、決して忘れ去られていないということを明らかにしています。神は天の国、ご自分の世界に私たちをその国民として招き入れてくださる方であるということなのです。
 
天の国の民として、私たちが招かれているというのは、私たちがこの世の中でサバイバーとして生きているなかにあっても、しっかりと神が私たちの命を守ってくださるという私たちに対する深い信頼を、私たちがどう受け止め、その喜びを味わうことができるかなのだと感じます。そのために、今日の一日がまた与えられていることに感謝しつつ、歩みを踏んでまいりたいと願わされました。
 
今日一日の皆さんの予定のうえに、神の守りと喜びがあふれんばかりにありますように。お祈りいたします。

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