10/08/2023

2023.8.10(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ハバクク書2章4節
見よ、高慢な者を。
その心は正しくない。
しかし、正しき人はその信仰によって生きる。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヤコブの手紙1章21節
あらゆる汚れや甚だしい悪を捨て去り、植え付けられた御言葉を謙虚に受け入れなさい。御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
昨日、教会の信徒さんから「立秋を過ぎ・・・」というお祈りの言葉を聞きました。そうか!もう立秋だったのだと気づかされました。一昨日8日が立秋。ここから「残暑」と言うべきなのでしょうが、昨日も本当に暑い一日でした。ただ、夕方になると幾分か涼しい風が吹いてきました。やはり少しずつ暑さが変わってきているかな、そんなことも感じることができました。今日も暑さゆえの災害から少しでも避けることができるように、祈るばかりです。
 
さて、今日選ばれた旧約聖書のハバクク書2章4節で「高慢な者」という言葉が登場します。さて、高慢な者とはいったいどのような者を指すのだろうか。そんなことにふと心が留まりました。高慢とは「うぬぼれが強く、高ぶっていること」と国語辞典には記されています。うぬぼれ=自惚れとある通り、自己自身に陶酔している姿、陶酔しているがゆえに、自分は偉いと思い込んでしまう姿を、高慢というようです。
 
一方で『Die Losungen』に記された当該のドイツ語は、halsstarrigという単語が用いられていました。これは「強情な・頑固な・いこじな」という意味のようです。また、旧約聖書原語であるヘブライ語では「アファル」という言葉が用いられていますが、この言葉のもともとの意味は「膨らむ」というものなのだそうです。
 
これらの言葉から、高慢という言葉をイメージしてみますと、自分のなかで膨張するがゆえに、他のスペースを許すことなく膨らみ続けてその環境を自分の心や思い、考えでいっぱいにしてしまって、そこから身動きのできない状態。その状態こそ、強情さや頑固さを生む根拠となるのだろうと思わされました。
 
つまり、自分自身のことで精いっぱいになるばかり、他の何かが入り込むスペースがなくなってしまうのです。それで、良いものすら入り込む余地がなくて締め出してしまうのだと。このハバクク書の後半部分には「信仰」という言葉が登場しますが、これは「真実」とも訳せる言葉です。つまり信仰とは、私が神に向かう姿を表す前に、神が真実をもってご自身を現わしてくださるという大前提があるのですから、その真実を自分自身の思いや心で締め出してしまう姿こそ、今日の聖書の言葉にある「高慢」の意味であると私は受け止めたいのです。
 
今日の新約聖書・ヤコブの手紙には「御言葉を謙虚に受け入れなさい」という言葉が登場しますが、これこそ、自分自身の心や思いに、神が与えてくださった御言葉を通して働くご自身の真実というものを、自分自身のスペースのなかに入り込ませなさいという勧めであると私は理解しました。常に自分自身が余裕をもって生きることの幸いというものを自戒を込めつつ想わされました。
 
どうか今日の営みにも、神の御心が豊かに皆さんのスペースに入り込むことができますように。お祈りいたします。

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