06/07/2023

2023.7.6(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編25編1~2節
主よ、私の魂はあなたを仰ぎ見る。
わが神よ、私はあなたに信頼する。
私が恥を受けることがないように。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書19章3節
ザアカイは、イエスがどんな人か見ようとした。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
昨日は黙想をお届けすることが出来ませんでした。楽しみにしていてくださっている皆さんへ、お詫び申し上げます。
昨日の朝、黙想に取り掛かろうとしたところで、一本の電話が入りました。私が代務を務める教会の信徒さんが、急逝されたとの知らせでした。私がその方にお会いしたのは、ちょうど一週間前のことでした。ゆっくりと1時間以上、お話をしたのです。いろいろなお話を伺いました。その残像が今でもしっかりと残っていて、だからこそ、あまりにも突然のことに、戸惑いを感じずにはいられませんでした。すぐさまご自宅を訪ねて、祈りのときを持ちました。今日も葬儀への備えのためにお訪ねします。一切に主なる神の慰めを祈るばかりです。
 
こういうときにこそ、神がどのような御方か、その御業を見るということに心を寄せたい。今日の聖書の言葉をいただいて、思ったことです。ダビデにしてもザアカイにしても、父なる神を、そしてイエスがどのような方かを「見る(た)」と、今日の聖書の言葉には記されています。神を見るとは、私の心へ、またこの世界に神がどのように働いてくださるかということに、思いを集中させることであると私は受け止めました。
 
私たちはどうしても、神を見ることよりも、時分自身の今を取り囲む状況に、関心が行ってしまうことが多々あります。昨朝のような、あまりにも信じがたい出来事が突如として襲うときに、そのことで頭も心もいっぱいになる自分自身があります。これは仕方のないことです。神を見る余裕などない。こんな風に思うのが、私たちの偽らざる真実なのかもしれません。しかし、それでも、そんな時だからこそ、神を見ることを通して、ただ、神の慰めを祈り求める思いを大切にしたいと思わされました。悲しみのなかにも慰めを、怒りのなかにも落ち着きを、神の御業を見せてくださいと、私は祈りたいとあらためて思わされました。
 
ダビデは、「私が恥を受けることのないように」と祈りました。私が苦痛に取り囲まれ、みじめになることのないように、神に訴える祈り。今日もそのような祈りを神にささげつつ、一日を過ごしてまいりたいと思います。皆さんの一日にも、神である主の御業が豊かにありますように。お祈りいたします。

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