20/07/2023

2023.7.20(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編62編8節
神にこそ、私の救いと栄光はある。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書8章48節
イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日の新約聖書の言葉は、会堂長であったヤイロの12歳になる娘が、病に冒された後、ついには亡くなってしまうものの、イエスによって命がよみがえるという奇跡が起きた物語に、いわゆる「幕間劇(まくあいげき)」のように入り込む、この娘の歳と同じ12年ものあいだ、病に悩まされた女性がわらをもすがる思いで、イエスの服の房に触れたことで、たちまち病が癒され、苦しみから解放されたという話の結論部分として、イエスがその女性に語りかけたひと言が選ばれています。
 
イエスによって病気がいやされた女性は「出血が止まらない」という症状を持っていたようです。そして「全財産を使い果たした」とも、ルカによる福音書では説明されています。つまり、これは私の想像ではありますが、少なくとも「娘」と呼べるような年齢ではなかったのではないかと私は思うのです。ある程度財産のある、成人女性をイメージします。しかし、にもかかわらずイエスは、その女性を「娘」と呼んでいます(ギリシア語原文でもそういう言葉が用いられています)。
 
娘よ。イエスがそう語られた理由はどこにあるのだろうか。12歳の会堂長ヤイロの娘と、12年間病を患っていたい女性。状況こそ違えど、このふたりの女性には、やはり重なるものがあると思えてなりません。本当はヤイロの娘を癒すために家に向かったものの、ある意味で言えば「邪魔」が入ったというわけです。急いでいるのに、一刻も早く治して欲しいと父ヤイロは願ったはずです。結果として、別の女性の相手をしている間に、彼の娘は死んでしまいました。
 
しかし、イエスは出血の止まらない女性の病を癒しつつも、ヤイロの娘も間違いなく生き返らせた。イエスにとっては、どちらが大切でどちらが大切でないということは無かったのだと。イエスに助けを求める、オーバーラップする状況にあったふたりの女性を、同じように問題なく命の喜びへと導かれた。それがイエスなのだと。
 
私は、今日の聖書の言葉を通して想わされたことがあります。私たちは気がもめます。一刻も早く不安を解消したくて、急いで、急いで事を進ませようとします。しかし、焦るばかり、判断を誤ってしまうことがしばしばあったりします。しかし、イエスは違う。私たちの心とは別の、着実確実な計画を私たちに示される方なのだと。私たちがうろたえたとしても、神はご自分の御心にもとづいて、必ず私たちの必要に応えてくださるのだと。私たちがどんなにうろたえたとしてもです。
 
そういう神がともにおられることに喜びつつ、神に期待して今日の一日を過ごすことができますように。お祈りいたします。

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