08/06/2023

2023.6.8(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ルツ記2章12節
ボアズはルツに言った。
あなたがその翼のもとに逃れて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙2章17節
キリストは来られ、遠く離れているあなたがたにも、また近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせてくださいました。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
昨日(6月7日)のローズンゲン黙想(コチラから読むことができます)に引き続いて、今日のローズンゲンによって選ばれた聖書の言葉から黙想を得てまいりたいと思います。
 
私は今日の新約聖書の言葉から、あらためて「平和の福音」とは何だろうかということについて、思いを寄せたいと思いました。私たちにとって平和とは何だろうか。平和とは、私たち人間の関係の真ん中に神が立たれることだと思います。私とあなたという人間関係で起きる、さまざまな齟齬や自己主張のぶつかり合い。そのことを通して起きるさまざまなトラブルや関係の分断。ときにはゆがみ切った、独り善がりな平和の主張による奪い合い、争い。そうなってしまうと、もはや手の付けられない状態へと、私たちは引き込まれ、負のスパイラルに巻き込まれてしまう。だからこそ、私たち人間関係の真ん中に、神が立たれることが本当に大切なのだと私は考えます。
 
そうすれば、私はあの他者と向き合う前に、神と向き合わなければならない状況が生まれます。神と向き合うなかで、私たちは自分自身が神の愛で守られていることを、神の言葉と聖霊による導きで知らされるならば、まず自分自身が変えられる体験ができる。そのような体験が、他者との「新たな出会い」が生み出されるのだと、私はあらためて考えさせられます。神が不在の状況で、互いが関係を回復したり、和解することなど絶対に無理なのだと私は考えます。どちらかが、また双方が鬱屈した気持ちを抱えながら、表向きに関係性をやり過ごしたところで、そこに「平和の福音」は無いのだと思います。神が真ん中に立たれない限り。
 
そのために、キリストは私たちのもとに来られた。かつてルツが父なる神が広げるみつばさのもとに隠れ、そして守られたように、私たちもまた、キリストによって守られるために、そして、守られるだけではなく、前に備えられている新たな人生における出会いのために、キリストがご自身のさまをもって「平和の福音」を私たちに提示してくださっているのだと。私はそのように受け止めたいと思いました。
 
神様、
私たちが出発するときに、
これまでの古い道だけを歩み、
馴染みの者と握手するということではなく、
見知らぬ者と出会い、
何か新しいことにチャレンジするための勇気を
私たちに与えてください。
 
今日の「第3のテキスト(原著のみ)」に記された、作家ヒルデガルト・ニースの祈りです。平和の福音は、あくまで未来志向であることを思わされます。そんな思いに支えられながら、私もまた今日という新たな一日を歩みたいと願わされました。皆さんにとっても、今日の一日が。平和の福音によって新たな一日を歩み出すことができますように。お祈りいたします。

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