03/06/2023

2023.6.3(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ゼカリヤ書9章9節
見よ、あなたの王があなたのところに来る。
彼は正しき者であって、勝利を得る者。
へりくだって、子ろばに乗って。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書5章5節
へりくだった人々は、幸いであるその人たちは地を受け継ぐ。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

******
 
皆さんおはようございます。
今日選ばれた旧新約聖書に共通するのは「へりくだり」という言葉です。へりくだった人々は幸いであるとイエスは語ります。日本はある意味では「へりくだりの文化」のなかで生きていると言えるでしょう。謙譲語という言葉の文化を持っているのは、日本語と韓国語くらいと言われています。一歩引いて、身分が上の人に対して自分を低める言葉を用いる。そんなことから、日本がへりくだりの文化を持っていると言われているのでしょう。
 
では、聖書で書かれている「へりくだり」と、日本で考えられているへりくだりの文化は、果たして一緒なのだろうか。私はあらためてそんなことを思わされます。今日のふたつの聖書の言葉を通して、私たちがぜひ知りたいこと。それは、私たちにとってのへりくだりのモデルは、救い主イエスにある、ということです。イエスがどのようにへりくだりの精神を持たれたかということを、私たちひとりひとりがいかにイメージできるかで、私たちもまた、へりくだって生きるというのがどういうことかを、具体的に理解できるのかもしれません。
 
イエスが示されたへりくだりとは、その向こうに必ず「私たちに対する『愛』」が存在しているということに尽きると私は考えています。自分を低めるだけではなく、他者に対するを通して隣人となるために、イエスがその愛を示される。あくまで他者の幸いのために差し出すその態度こそ、へりくだりであるというのです。どうでしょうか。私たちは自分自身を低めようとする時に、その動機が他者に対するものというよりは、むしろ自分自身を守るために行っていないだろうか。私自身も自己保身のためにへりくだりというテクニックを使って、世の中を渡り歩こうとしていないだろうか。そんなことを思わされたのです。
 
自己愛を動機とするへりくだりか、隣人愛を動機とするためのへりくだりか。そんなことを自分の言動を振り返りながら、思う一日でありたいと願わされました。明日の主の日への備えとともに、私のためにへりくださってくださる主がともにおられることに感謝しつつ。
 
皆さんの一日にも、主の豊かな守りと祝福がありますように。お祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿