イザヤ書49章26節
すべての肉なる者は知るようになる。
私が主、あなたの救い主、あなたの贖い主であることを。
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書28章18~20節
イエスは言われた。
「私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じたことをすべて守るように教えなさい。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
******
皆さん、おはようございます。
今日選ばれた聖書の言葉は、神が私たちのために身代金を支払ってくださることによって、私たちが闇の世界から神の守りの世界へと買い取られた。この神の御業というものを、私たちは知り、理解し、受け入れることができるのだ。そんなメッセージを私たちに伝える言葉であると、私は理解しました。旧約聖書・イザヤ書による希望の言葉です。
私たちが経験する闇の世界とは何か。そんなことを思わされます。昨日、宇宙の世界よりも深海の世界のほうが、未知の部分が多いということがテレビで紹介されていました。なぜならば、深海の世界は「光」がないからです。宇宙のほうが恒星が輝いているので、そのなかを遊泳することがまだまだ可能なのだそうです。深海の世界は、前に踏み出すことも難しくさせる。それは光がないから。光のない世界で動こうとするならば、それはもがき苦しみの世界でもあると言うことができます。
そういう世界に私たちもまた、人生のあらゆる問題課題に直面し、人間関係の難しさを感じながら、もがいて生きているのだと思います。問題解決というのは、実は簡単なようでそうではないことは、自分自身がよく知っているのではないだろうか。そう思えてならないのです。そもそも神無しでも人間は万全に生きていくことができるのだと主張し、あえて闇の世界へもぐりこんでいったのは、何を隠そう人間なのだということを、聖書の冒頭にある創世記には書き記されています。
しかし、自業自得であると私たちの突っ走りを見捨てることなく、あえて深海の世界から私たちを引き出して、買い取って、救いへと導かれる神がおられる。それは、救い主イエスが弟子たちに語られたあの言葉から、あらためて知らされます。イエスは言いました。すべての国の人々を私の弟子としなさい。バプテスマ(洗礼)の業を通して、そのような神を理解し、受け入れ、そして聖書の言葉を通して、そういう神がおられることを知り続けなさいと。
ここで言う知り続けるとは、理解し、自分のものとすることです。自分の生き方にイエスという光を灯すこと。それこそ、私たちが光のなかを歩むことのできる、神が与えてくださった恵みなのだと、私は受け入れたいと願わされました。
どうか、今日の一日がそのような神の恵みというものに支えられた時でありますように。皆さんにとって素敵な一日となりますことを、心からお祈りいたします。
0 件のコメント:
コメントを投稿