14/06/2023

2023.6.14(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編34編3節
私の魂は主を誇り
苦しむ人は聞いて喜ぶ。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
フィリピの信徒への手紙4章4~5節
喜びなさい。あなたがたの寛容な心をすべての人に知らせなさい。主は近いのです。

『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンの言葉を通して、注目したいと思ったのは「主は近い」というパウロによって綴られたひと言です。このことをについて、黙想したいと思いました。
 
主は近い。パウロが宣教をしていた当時は、救い主イエスが再び自分たちのもとにやって来られて、神の国が完成するということを真剣に受け止め、また信じられていた時代でした。現在、そういう信仰がまったく無くなったわけではありません。私たちの信仰には「主の再び来たり給うを待ち望む」とあるように、イエスが平和を携えて再臨されることを、希望のうちに信じているということがあります。
 
ただ、パウロの時代(つまり1世紀)はおそらく、今まで以上にキリストの再臨に対する待望が今よりももっと強くあったことと私は思います。イエスに出会った人々が実際に多くいたこともそうでしょうし、ローマ帝国の圧政のもとにあって、人々の期待がイエスに強く向けられたのも、納得できるからです。パウロが「主は近い」と手紙二書き綴ったのも、そういう強い期待が、愛するフィリピ教会の方々とともにあるようにという願いから起きたものなのでしょう。
 
イエスの再臨と言うと、ことさら「裁き」であるとか「生き残るためにサバイブすることの必要性」などを強調する動きがあります。自分は正しい、世界は間違っているのだと強調して、自分たちのグループが特別に神から選ばれた存在であることによって、自分以外の人々や世界に対して、不寛容な態度を取ったりする動きを見ることがあります。現在「カルト」と呼ばれるゆがんだ支配を助長する動きの多くにみられる特徴は、こういうことをことさらあおる傾向にあると私は思っています。
 
しかし、今日のパウロの手紙にみる、イエスの再臨を待ち望む者が抱くことのできる態度とは何かと言えば、「喜び」と「寛容」であることが分かります。緊迫感・危機感・分断を促すような環境のなかにあっても、私たちが抱くことができるのは、あくまで希望なのだと。救い主にある希望があるからこそ、私たちは寛容にもなれるし、喜びを抱きながら生きることができるのだ。これがパウロの態度であると言えるでしょう。
 
実は、本日の新約聖書であるフィリピ4章4~5節の直前の部分には、フィリピ教会におられたふたりの熱心であっただろう婦人たちのことについて書かれています。おそらくこのふたりの女性たちのあいだには、不和があったのだろうと読み取ることができます。ふたりに同じ思いを抱くことを勧め、周りもこのふたりのために協力し、助けてくださいとパウロは進めているからです。
 
人間関係のもつれは、さまざまなストレスを生みますし、喜びや寛容というところから離れてしまい、溝と分断をつくりあげてしまうことが往々にしてあります。その渦中にいることこそ、つらいものはありません。しかし、主が近いということに対する私たちの信頼は、むしろ逆の思いを私たちに与えるのだと。それが、喜びであり、肝要であり、希望なのだと。それをあふれんばかりに注ぎ、与えておられる神がともにおられるからこそです。
 
余談ですが、私が働く教会には「主は近い」の聖句にちなんで名づけられた「近(ちかし)さん」と仰る信徒さんがおられます。最長老の近さんですが、実に希望に満ちあふれた元気いっぱいの方です。いつも私は近さんから元気をいただいております。まさに主とともに歩む幸いとは、こういうことを指すのだと、私は今日選ばれた聖書の言葉とともに、黙想させられました。
 
今日の一日も、私たちの心のうちに神が与えてくださる喜びで満たされますように。皆さんの歩みの一切に、主の守りと祝福が豊かに臨んでくださいますように。お祈りいたします。

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