13/06/2023

2023.6.13(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
民数記14章17節
どうか、わが主の大いなる力を現してください。
かつてあなたはそのように告げられました。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書1章49節
マリアは言った。
力ある方が
私に大いなることをしてくださいました。
その御名は聖です。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

******
 
皆さん、おはようございます。
 
今日ローズンゲンによって選ばれた聖書の言葉に共通するのは「主なる神の大いなる力と行い」というテーマであると私は受け止めました。このことについて黙想したいと思います。
 
昨日、ある方とこんな会話をしていました。その時は分からなくても、ひとつひとつの出来事に無駄なものなど何もない。その出来事を通して神が必ず、私たちに意味というものを与えてくださり、その意味を知ることによって、神の大いなる御業というものを実感することができるのですよね。そんなことをその方との会話を通して耳にし、まことにその通りだと思います。アーメン!とうなずく自分自身がありました。
 
マリアが天使のお告げによって、わが身に「ありえない妊娠」を知らされた時に、マリアは戸惑いました。これから起こり得ることをあれこれ想像したかもしれない。おそらくその想像には、恐れや不安が襲ったに違いないのです。しかし、マリアはそのような思いを抱えつつも、その出来事を通して働かれる神の御業というものに、自分自身の意識を集中させようとしていることが分かります。力ある神と、自分の神をそのように表現し、そして、神のお名前が「聖」であることを、マリアは告白しました。
 
私は神であり、あなたと共にいることで、あなたの神となる」という神のお名前(YHWHと表記される神)の意味がマリアに臨んだときに、マリアはそこに「聖」を感じました。神聖というのは、「侵さずべからず」という言葉がセットで語られることの多い言葉ですが、それは近づき難い存在というよりは、その逆で、私のすぐそばで働いてくださる方であるからこそ、神聖と言えるのだと。これがマリアの偽らざる告白の意味でした。
 
聖というのは、そのような親密さをもって語られる、神の特性であることを思わされます。常に私たち人間との関係性のなかで、主なる神はご自分の意味というものを携えて、私たちに近づいてくださる。臨んでくださり、私たちに守りと祝福を与えてくださるというのです。こんな神の御姿と御業を前にして、私は思いました。必ず神は御業をご自分の望まれるかたちで表してくださるのだと。この神のなさることに、希望をもって自らを委ね、託し、そのうえで、自分自身に与えられた務めというものを、誠実に果たしていこうと。
 
ついつい、近くにおられる神を忘れて、自分のやりたいように、自分の願うままに振舞おうとする自分自身があります。本当に神に祈って、神の御心を尋ね求めたうえでそうしたのだろうか。自分の願望を果たすために神を利用しただけに過ぎないのではないか。そんな問いが自分自身を突き刺します。私には神の御心というものを100%知ることは不可能です。どこかで必ず、欠けやゆがみというものを抱えながら、神の御業について考え、信じ、行おうとする自分自身があることを思います。だからこそ、神の御業が私の願い、願わざるところにかかわらず、与えられる現実というものを受け止めながら、そこに神が意味をともなってくださることを信じながら、自分自身のあり方を識別していきながら、今日という一日を歩みたいと黙想させられました。その向こうに、神の大いなる力が働かれることを、希望としながら。
 
今日の営みのすべてに、神の守りと平安がともに、豊かにありますように。お祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿