12/06/2023

2023.6.12(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編25編18節
見てください、私の苦しみと労苦を。
取り除いてください、私の罪のすべてを。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書15章7節
言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にある。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
 
昨日、東北地方も梅雨入りしました。一日じゅう湿気のあるじめじめした天候でした。私はこの季節が本当に苦手なのですが、それでもこの季節に降りしきる雨は、作物を豊かに育てるための恵みの雨でもありますので、何も悪いことばかりではないのだなと。物事の本質というものを、自分の好き嫌いだけで容易に排除したりしてはいけないということを、こういう梅雨を通して想わされたりする一日でした。
 
神が与えるものに対して、自分自身の好みで良し悪しを断言し、そして気に入らないものを排除することこそ「罪」のあらわれであると、私は自分自身を振り返りながら想わされます。罪とは、神に背を向けて独立独歩の営みをしようとする人間の姿を表しているものですが(その結果、認知のゆがみを生み、それがゆがんだ言動につながるわけです)、自分好みのあり方というものを正当化することが、結果として神から与えられるさまざまな恵みの価値というものを認められない自分自身を生んでいるのだなと感じさせられるのです。
 
そんななかで、今日ローズンゲンによって選ばれたふたつの聖書の言葉は、自分自身の姿というものをあらためて見つめさせられる機会を与えてくださるものだと思わされた次第dす。物事を前向きに受け止められるよう、私の心を整えてくださいと、私は神に祈りをささげたいと思わされました。自分自身でなんとかなると思いながら、それが果たせない自分。それどころか、苦しみばかりが自分自身の心に募るときに、だからこそ、神の御心於に自分自身を沿わせるべく、立ち帰るものでありたい。昨日も「立ち帰ること・悔い改める」ことについて、ローズンゲン黙想をしたわけですが、その連続性のなかで与えられる聖書の言葉に、なおのこと考えさせられました。感謝なことです。
 
イエスは言われました。ひとりの罪人が自分の孤独に苦しみ、そのことに悔い、神のもとに方向転換して歩むならば、そこには天からの大きな喜びがあると。自分自身が、群れから離れた一匹の羊なのだと。しかし、その羊は羊飼いによって大切にされて、もとの状態に連れ戻されるのです。そういう羊飼いイエスが、ともにおられることの幸いを味わいながら、今日の一日を過ごしてまいりたいと思います。
 
皆さんもこの季節、いろいろな不便を感じることがあるかもしれませんが、そのような不便ななかにも、主なる神の祝福が豊かにあることを実感できる一日でありますように。心からお祈りいたします。

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