01/06/2023

2023.6.1(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書25章8節
主なる神は、死を永遠に吞み込んでくださる。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
フィリピの信徒への手紙3章10~11節
私は、キリストとその復活の力を知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

******
 
皆さんおはようございます。
昨日は、2024年版のローズンゲン日本語版の編集のため、もうひとりの編集者が働く職場に伺い、ともに編集作業をおこないました。少しでも良い冊子を皆さんにお届けできるように、心を込めて編集に携わっていきたい。そんな思いにさせられながら、ひと時を過ごすことができました。
 
さて、本日の新約聖書として選ばれたのは、「死者の中からの復活」を心から望む、この手紙の筆者である使徒パウロによる言葉です。パウロはまだ生きています。ですから、死者からの復活とは、自分がやがて訪れることになるであろう将来について、その希望を述べたものであると言えるでしょう。
 
しかし、パウロは本当に「死後の世界」だけに言及して、そのような自分の思いを述べたのだろうか。そんな風にも思ったのです。パウロ自身、かつてあのダマスコに向かう途上で、キリストの幻に出会った時、これまでの自分自身の「死」を経験して、目からウロコが落ちて再び起き上がった時、彼は明らかに「復活」を経験しました。そのようなパウロのライフヒストリーは、まさに「復活」が死後の世界はもとより、今自分自身が生きているさまざまな場面において、十分に体験し、経験できるものなのだということを踏まえて、今日のような言葉をつづっているのではないだろうか。そう思えてならないのです。
 
パウロが知った、つまり心の底から理解し、認識した「キリストの復活の力」とは、人を全人的に活かす大きな力のことであると私は推察します。復活とはやり直しという言葉に置き換えることができるのだと。パウロもこれまでの生き方に別れを告げ、キリストによって復活の力というものをいただくことによって、新生させられました。のちの宣教者としての人生にすべてをささげることができた。それがパウロの復活体験であったのだと。
 
復活体験をしたからと言って、苦痛がすべてなくなるわけではありません。むしろ、パウロの場合、苦痛が増幅したのではないかと思うくらい、自分自身に内在する「罪」の問題で、実に苦しみ悩みます。にもかかわらずパウロは、ことあるごとに自分の身を起こし、さらなる宣教活動に赴くことができたのは、「キリストの苦しみ、キリストが自分の死をもって私たちに命をあたえてくださったという事実」にパウロが返り、この生き方にあやかりたいと思ったからなのだと。キリストは死に、そして復活された。これが、パウロの人生の慰めであり励みであり、また将来への希望だったのだと。
 
今日の旧約聖書は、死を永遠に呑み込んでくださる主なる神がおられるというものでした。私たちの生きている世界で、永遠を見ることはまだできません。限りある限界のなかを、私たちは時にもがき苦しみながら歩んでいかなければならない。しかし、それでも復活の主イエスを見上げ、またその死にあやかりながら、私たちはいくらでも希望をもって生きることができるのだ。やり直しできるのだということを、今日を生きるための神の御言葉として受け取ってまいりたいと心から願います。どうぞ、皆さんの一日に、命を活かしてくださる神の平安と祝福がともにありますように。お祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿