05/05/2023

2023.5.5(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ゼカリヤ書3章9節
私はこの地の過ちを一日のうちに取り除く。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネの手紙一2章2節
(イエス・キリストは)私たちの罪だけではなく、全世界の罪のための宥めの献げ物です。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

******
 
救い主イエスの復活27日目を迎えました。
 
昨日は、GRC(Grobal Returnees Conference)23でカルトのお話をしたのち、夕方には無事に日本基督教団東北教区総会の会場となる山形学院高校へ到着、ゆっくりと休んで朝を迎えました。体調も万全です。今日一日、会議に臨んでまいりたいと思います。
 
さて、昨日のコンファレンスで行われた分科会で、私はカルトについてのお話をさせてもらったわけですが、今回は対象者がクリスチャンでしたので、割にいわゆる「キリスト教用語」を用いていきながら、お話を進めてまいりました。そのなかで、私はこういう言い方をしました。「カルト問題は、神の御国が来るその時まで、無くなることはない」と。
 
なぜ無くならないのか。私はこのように説明しました。カルト問題というのは、人が人をゆがんだ形で支配しようとするところから起きてきます。つまり、神の健全なご支配がないがしろにされるからこそカルトがあるのであって、それは私たちの「罪(神に背を向けること)」と抜き差しならぬ関係にあるということを、私たちは認識している必要があります。つまり、罪が根本的になくならない限り、カルト問題は私たちのただなかに生き残り続けるのです。と。
 
だからこそ、私たちならば誰でも有している罪の問題=カルトなるものを多少なりとも有している問題について、その罪を贖ってくださる方の存在がどうしても必要であって、その方が私たちのさまざまな思いを超えて、私たちの中心に立ってくださることこそ、カルト化の道を少しでも抑制するための鍵となるのだと。私はそのように話をしました。まさに、本日のローズンゲンの言葉が指し示している通りなのだと、私は信じてやまないのです。究極的に、私たちの世の中に渦巻くカルトの問題を解決させてくださるのは、救い主イエスご本人に他ならないのだと私は心から信じたいのです。
 
イエスが、神と私たちとのあいだを結ぶ「宥め(なだめ)」となってくださった。なだめは凍てついた心を溶かし、潤いと温かさを与えてくださる。そういう存在としてイエスが私たちのあいだに立ってくださることを感謝しつつ、一日を過ごしてまいりたいと願います。どうぞ皆さんの一切にも、そのような神の助けと守りが豊かにありますように。お祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿