22/05/2023

2023.5.22(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
コヘレトの言葉8章15節
そこで、私は喜びをたたえる。
太陽の下では食べ、飲み、楽しむことよりほかに人に幸せはない。
これは、太陽の下で神が与える人生の日々の労苦に伴うものである。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
フィリピの信徒への手紙4章4節
主にあっていつも喜びなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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皆さん、おはようございます。
 
今日選ばれた旧約・新約聖書から、共通するキーワードが何かと言えば、それは「喜び」であると私は受け止めました。本日のローズンゲンとなる言葉は、コヘレトの言葉8章の一節です。
 
太陽の下では食べ、飲み、楽しむことよりほかに人に幸せはない。
このようにコヘレトと称される人物は言います。これは世の中でも広く受け入れられる、私たち人間が共通して感じる事なのではないかと思うのです。そのうえで、コヘレトはこのようにも言っているわけです。
 
太陽の下で神が与える人生の日々の労苦に伴うものである。
太陽の下で神が与える私たちの人生は、決して嬉しいことばかりではない。時には労苦をともなうものである。そうコヘレトは言うのです。「人生楽ありゃ苦もあるさ」という歌詞で始まる、テレビ時代劇の曲を思い出しました。しかし、労苦があるなかでも、だからこそ、私たちには神から与えられた喜びを、存分に楽しむことができるのだ。この神が与えてくださる幸福のゆえに、私は喜ぶことができるのだと。
 
そのことを踏まえて、今日の新約聖書の言葉を考えてみるならば、「主にあっていつも喜びなさい」というのは、苦しいことがあってもカラ元気を装っていても喜んでいなさいと言うことでは決してありません。そもそも喜びというのは、どこから来るものなのか。フィリピ教会へ手紙を宛てたパウロは、このことについて「主にあって」というひと言をもって、その問いに答えています。
 
つまり、私たちが喜ぶというのは、その源泉が神にあることを示すものであって、私たちに人生の日々を与えてくださった神が、私たちの経験する労苦のなかにあっても、私たちが喜び楽しむことができるように、整え、導いてくださることなのだと。ちなみに言えば、私たちの経験する労苦とは、神に背を向けて生きようとした結果、私たち人間が経験しなければならない、いわゆる「自業自得」的な結果なのであって、決して神が罰として与えたものとは違うと私は考えています。神はあくまで、私たちが喜び楽しむことを期待し、望んでおられるということなのだと、私は受け止めています。
 
今日から始まるウィークデイの日々が、私たちに喜びを与える神がともにいてくださることを感じとるまい日でありますように。お祈りいたします。

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