20/05/2023

2023.5.20(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書65章1節
私を求めなかった者に私は尋ね出され
私を探さなかった者に見いだされた。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書19章30節
先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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私たちに与えられた今日の聖書の言葉ですが、特に旧約聖書の言葉に出てくる「私を求めなかった者」「私を探さなかった者」とは、いったい誰のことを指すのでしょうか。預言者イザヤは、少なくともそういう人たちに神の存在が見いだされたことが記されています。
 
これは、伝統的に救いの外にあると思われ続けてきた「異邦人」をさすと言われています。神を求め、探さなかったというよりも、そのような機会にこれまであずかる機会がなかった、という言い方のほうが適切なのかもしれません。誰の目からも見て、とうてい救われることなどないだろうという人々によって、神の存在が明らかにされ、そして見いだされることによって、その人たちは神によって救いの経験を得るというのです。
 
これは、特権であるとか優越感というものに対する、厳しい示唆を与えるものなのではないだろうか。私はそのように感じたのです。神が選ばれたイスラエルの民たちは、自分たちは神によって絶対的に守られているという確信があったにちがいありません。しかし、そこに何らかの驕り(おごり)の心があったからこそ、彼らは大切なものを見失うことになります。そして、大切なものが、本当に大切なものを求め、大切にし続けるそのような価値を見いだそうとしている人々に、与えられることになりました。
 
イエスは言います。「先の者が後になり、後の者が先になる」と。神の救いとは、その救いの本質というものを、本当に分かっている人々に優先して与えられるものなのだという、イエスの思いというものが明らかにされる言葉です。
 
私は思いました。私はクリスチャンとして、神の救いというものを確実に受け取ったという思いがあります。しかし、だからと言って、そのことに慢心するあまり、神の救いの本質というものに、つねに目を向け、心を注ぎながら、神が期待しておられる生き方というものを、真摯に歩むことをおそろかにしていないだろうか。そんなことを思わされました。
 
安心感を得ることは大切だけれども、安心しすぎることで、大切なものまで見失うことのないように、自分自身をよく確かめながら、聖書の言葉を心身にしみこませていく幸いを、今日も味わいたいと願わされました。どうか、主の日の備えとなるこの一日が、皆さんにとっても神の救いというものを確かめるための、素敵な一日となりますように。お祈りいたします。
 

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