19/05/2023

2023.5.19(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
サムエル記上17章47節
主が救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書10章5節
どんな家に入っても、まず、「この家に平和があるように」と言いなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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なぜ暴力がなくならないのか。そんな問いに、今日選ばれた聖書の言葉は、大切なことに気づかせてくれる。私は今日の聖書の言葉に出会った時に、真っ先にそんなことを思わされました。
 
救いに剣や槍は必要ない。一見すると、旧約聖書に記述されている数々の戦いが繰り広げられていることを踏まえると、今日の聖書の言葉はとても矛盾しているようにも思えます。しかし、そういう矛盾のなかにも、今日の聖書の言葉は心から納得させられたことに間違いありません。救いに暴力は必要ないのだと。では、なぜ暴力がこうも起き続けるのか。そんなことを黙想したいと思いました。
 
私たちの戦いはあくまで暴力を用いないところで行われるべきだと。今日の新約聖書の言葉のなかで、主イエスが弟子たちに命じられた宣教の方法とは、「平和があるように」という祈りをもってなされることであり、そのような態度をもって戦う大切さを思わされます。
 
暴力がなぜ私たちのうちからなくならないのか。やはりそれは、私たちの誰もが持っている「不安や恐怖」に起因すると、私は改めて思わされました。私自身のことを振り返りました。不安がさまざまな恐怖を呼び起こすときに、自分自身を時には防御し、そして正当化しようとする時に起きるのが暴力であると。こうして自分自身が暴力をもって優位に立とうとする。私は身体的暴力をすることがたとえなかったとしても、置かれた立場や言葉を利用して、暴力的なことを行ってしまう自分自身があることを認めます。それが顔を出さないようにといつも心がけるわけですが、時に自分の感情が理性を超えてしまう場合、結果として暴力行為だと思わせるようなことをしてしまった。そんなことに気づかされるのです。
 
こういう自分自身があることに気づかされるとき、あくまで暴力のないところでの戦い、平和を心に刻んでそれを貫こうとする自分自身に、今日の聖書の言葉が身に染みる。そんなことを思わされてなりません。どんな家に入っても、誰に対してでも、暴力ではなく寛容な思いをもって、神が、そして救い主イエスが言われた言葉を大切にしたい。そんなことを思わされた今日の聖書の言葉でした。
 
今日はまとまりのつかない言葉を皆さんにさらけ出しているかもしれません。だからこそ、じっくりと考えていきたいと思います。私たちのあいだに非暴力の平和を与えられる主イエスの恵みが、ともに豊かにありますように。お祈りいたします。

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