02/05/2023

2023.5.2(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
歴代誌下30章18~19節
恵み深い主よ、彼らをお赦しください。(彼らは)心を定めて神を、先祖の神、主を求めたのです。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マルコによる福音書2章17節
イエスは言われた。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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救い主イエスの復活24日目を迎えました。
 
昨日は、私が2018年より担当していた、日本CGNTV『リビングライフ』の最後の収録のため、東京へ出かけました。途中1年のブランクがありましたので都合4年間、毎月御言葉の取り次ぎを通して、御言葉を真ん中にした多くの方々との交わりをいただくことができました。この仕事を通して多くの出会いが与えられ、特に日本CGNTVの皆さんには大変お世話になりました。多くの職員が最後に労ってくださり、祈りのときをもってくださいました。心から感謝のひとときを過ごすことができました(写真:日本CGNTVスタッフの方々と)。
 
さて、今日の新約聖書の言葉は、イエスによって語られた有名なことばです。人々が医者を必要とするように、私たちも自分の足らざるところを補い、傷を癒し、健康に向かわせてくださる方を必要とする。その方とは、罪人をご自分のもとに招いてくださるイエスご本人であると、弟子たちに告げられました。
 
罪人とは、本来向かうべき方向に定まらない「的外れ」な人という意味があります。向かうべき方向とは、正しい御方である神であり、神が注いでくださるご自分の愛を、うまくキャッチできない私たちの姿が、私たち自身を「罪人」にさせるというのが、聖書が与える罪、そして罪人に対する理解です。決して、いわゆる「犯罪人」のことだけを指すわけではありません。神が注いでくださる愛が通い合わない状態であり、つまり「ゆがみ」の産物であることなのです。
 
正しい人が陽の目をみることは明白でしょう。しかし、イエスの関心は愛の通い合わないゆがんだ環境にあえてその足を踏み入れてくださり、そのなかでもがき苦しんでいる私たちに癒しを与え、神に向き合うことのできる道を提供してくださるところにあります。ある意味で言えば、そのことにしか関心を持たれないのがイエスであると言っても過言ではないと私は思います。それが、イエスのこの世界に来られた目的に他なりません。
 
そういうなかで、私たちの生活のただなかに、神の愛というものが豊かに働く時に、私たちは人と人とのあいだで、神と人のつながりを感じながら、平和に歩めるように導かれている。そんなことを信じたいのです。そのために、今日も御言葉が与えられていることをじっくりと黙想しながら、感謝な思いへと導かれてまいりたいと願わされました。
 
今日も皆さんの一日に、神様の豊かな愛が注がれることによって、神の招きに応える喜びを味わうことができますように。お祈りいたします。

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