11/05/2023

2023.5.11(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書65章8節
主はこう言われる。「ぶどうの房に発酵しかけの果汁があるのを見たらそれは潰すな、そこには祝福があるのだから」と人は言う。そのように、私は私の僕たちのためにそのすべては滅ぼさない。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書3章17節
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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救い主イエスの復活33日目を迎えました。
来週の木曜日には、いよいよ「昇天日(キリスト昇天祭)」を迎えます。イエスが40日間にわたる復活の日々を終え、天へと向かわれることを記念する時が昇天祭ですが、日本ではこの日を祝うことがなかなかありません。私がかつて住んでいたドイツの地域教会では、この日に野外礼拝を行っていました。空を見上げながら礼拝をするという、とても新鮮な経験をしたものでした。もっとも、ドイツではこの日は祝日となりますので、そのような礼拝が祝日のイベントとして行うことができるのですが。。。復活から昇天へ向かうイエスに思いを抱きながら、今日の聖書の言葉をいただきたいと思います。
 
今日の聖書の言葉を読んで思ったことは、「腐りかけた果実をつぶさない神」の存在についてです。昔のテレビドラマで「腐ったみかん」という言葉が出てきたのを思い出しました。腐ったみかんを箱の中にあると、そのみかんから他のみかんにまで影響を与えて腐らせてしまうことから、そのようなみかんは取り除かなければならない。いわゆる学園ドラマで登場したこの言葉は、学校にとって足手まといになる不良たちを排除することで、学校は良くなるのだという論理で用いられていました。
 
私たちの世界にもあります。悪影響をもたらすような存在をつぶし、排除することで、良い世界をつくり上げるという考え方です。実際、そのようにしなければ良い状態を保ち続けるのは難しいという現実もあります。悪がはびこっていく姿を、私たちは見過ごすことはできない。だから悪を排除すれば良いのだと。なんとも分かりやすい話です。
 
しかし、今日の旧約聖書の言葉には、発酵しかけのぶどうを潰してはならないという、主なる神の言葉があります。そして神はこう言われるのです。そこには祝福があるのだからと。
 
私は、この言葉を目にして思わされたことがあります。私たちにとって排除すべき悪とは何なのかと。その時に、私たちにとって排除したくなる存在を、神はどのようにご覧になられているだろうかという視点を、果たして大切にしているだろうか。そのように思ったのです。もちろん、悪という存在に対して、私たちは神の視点に立って毅然とする態度というものを大切にしなければならないと私は思います。しかし、そのような存在にも神の愛や祝福というものが注がれようとしている事実を、私は果たして受け止めているだろうか。そんなことを問わされたのです。
 
発酵しかけの果汁をもったぶどうにこそ、祝福があるのだ。この神の言葉を、私の感情であるとか好み、経験やトラウマという視点で握りつぶして、排除してしまってはいないだろうか。そんなことを思わされたのです。
 
そこで、今日の新約聖書の言葉が私たちに更なる理解を与えます。神が御子であり救い主であるイエスをこの世に遣わされたのは、私たちを滅ぼす(潰す)ためではなく、イエスによって世界が救われるためであると。まさに復活の主イエスは私たちを罪人だから潰すというのではなく、まさにご自分の命をもって私たちを救うために来られたのだと。
 
無為に潰すのではなく活かすために。この思いを大切にして一日を歩みたいと願わされました。私たちは活かされているという喜びを味わうことができる。その喜びを胸にしたいと思います。皆さんの一日が主にあって活き活きとされたものでありますように。お祈りいたします。

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