30/04/2023

2023.4.30(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
創世記28章16節
ヤコブは眠りから覚めて言った。「本当に、主がこの場所におられるのに、私はそれを知らなかった。」

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書24章32節
二人(の弟子)は互いに言った。「道々、聖書を説き明かしながら、お話しくださったとき、私たちの心は燃えていたではないか。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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救い主イエスの復活22日目を迎えました。そして、イースター後3回目の日曜日を私たちは迎えました。世の中はゴールデンウィークで、列島を移動する人たちのニュースが流れていました。昨日は初夏を思わせるような快晴の一日でしたが、今朝の仙台は雨模様です。この連休中の皆さんの安全を心から祈るばかりです。ちなみに、仙台宮城野教会は本日教会総会があります。昨年度の振り返りと。今年度の計画を主の御心を問いながら、その時を教会の皆さんとともに過ごしたいと思っています。
 
さて、本日の旧約聖書の言葉ですが、旧約聖書のなかで私が一番好きな聖句です。図らずもローズンゲンで愛唱聖句に出会うと、とても嬉しい気持ちになれます。神がともにおられることに何の疑いも持たなかったヤコブですが、双子の兄エサウの怒りを買うことになり家を出されることになりました。神がともにおられるはずなのに、その実感が前々わいてこない。おそらくヤコブの心の中は、そんなものであったに違いないと思うのです。
 
私たちもそうです。神はともにおられる、インマヌエル・アーメン!そのように口で告白しながらも実感がわいてこない。まるで神に見捨てられたような気持ちになることはないでしょうか。私は一時でもそのように感じる自分がまったく無いとは断言できません。孤独を感じることがあります。そのことに苦しみ悩むこともあります。これが人間が人間として生きる現実なのでしょう。だからこそ、ヤコブが最終的に「知らなかった」と告白するところに、大きな慰めを感じるのです。
 
孤独のヤコブに神は現れました。私はあなたとともにいる。私は決してあなたのことを見捨てないとヤコブに告げたときに、ヤコブは夢から覚めて言った言葉。それが「私は知らなかった」だったのです。ヤコブは神がおられることに、何の疑いもなくこれまで生きてきたことでしょう。神を信じていたことでしょう。しかし、彼の苦境を通して、ヤコブは改めて告白しました。「私は神がともにいてくださることを『知らなかった』」と。
 
この気づきは、私たちの胸を熱くさせます。それは復活の主イエスが、エマオへの途上にてふたりの弟子たちにその姿を現されたとき、弟子たちは「私たちの心は燃えていた」と後になって振り返りました。心が燃える経験。それはヤコブがこれから待ち受けている長い旅路を歩むための土台となりましたし、弟子たちの燃える心も、その後キリストの弟子として生きるための忘れられない根拠となったに違いないと私は思うのです。
 
神がともにおられないことに孤独を感じることがあったとしても、神は必ず私たちにそのことを気づかせてくださるときがやって来る。そのときを望みつつ、今日という一日を生きてまいりたいと願わされました。主の日に礼拝を通して神と出会うことの実感を大切にしながらです。どうか、皆さんの一日にも、神からの豊かな臨みがありますように。お祈りいたします。

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