28/04/2023

2023.4.28(金)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
列王記上20章11節
武具を着ける者は、武具を解く者のように、勝ち誇ってはならない。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙4章23節
心の霊において新たにされなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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救い主イエスの復活20日目を迎えました。イエスが復活されてから昇天されるまで、ちょうど折り返し地点を迎えました。イエスが復活された40日間という期間は、実にあっという間だったの出来事だったのだなと、私自身、このイースターの期節を過ごして思わされます。イエスが弟子たちに再会し、大切なことを伝え、そして触れ合った期間、私たちはどのよつな思いでいることができるのだろうか。そんなことを想いながら、今日の聖書の言葉に聴いてみたいと思いました。
 
今日の旧約聖書に記された言葉を通して、それをひと言でまとめるとどう表現できるか考えました。つまり「傲慢になるな」ということだろうか。そんなことを思いました。自分の身を外敵から守るために武具というものを装着することは当たり前なのですが、同時に立派な武具を付けたら万能感に満ちあふれる。武具を身に着けるとはそういうものなのだろうと思いました。身を守るだけではなく、自分が強くなったような気分にさせられる。「武具を解く者」とは、あたかも強くなったかのような思いで、他者の大切なものを奪い取るような行為をする者のことなのかなと思います。
 
そういう者に「勝ち誇ってはならない」との忠告の言葉が響きます。私は思いました。クリスチャンという立場を持つ者として、神からの救いを受けているとはどういうことだろうか。クリスチャンであるがゆえに、救われていることの喜びを持つことは当然なのですが、それが異様な優越感を抱き、そうでない者を見下し、また、自分の目から見て何か劣等な物事や人を探し出して、優越感というものをひけらかし、言葉と行いで示してはいないだろうか。私は、自分のことも省みつつ、「武具をつける者」が陥りがちな傾向というものに注意を傾けたいと思わされました。
 
その点において、復活の命に救われ、復活の命に生きるとは、まさに「心が更新され、新鮮な思いをもって新しい生活を迎える」ことなのだろうと、今日の新約聖書の言葉をもってあらためて思わされました。「心の霊によって新たにされる」とは、私たちがクリスチャンとして生きるために、常に新鮮な風を聖霊の息吹とともに私たちの魂に送り込んでくださる方の言葉と助けをいただき続けることなのだろうと黙想しました。
 
こうして、毎日少しずつでも聖書の言葉に触れて生きるというのは、新鮮さを神から頂くことに相通じることですし、その新鮮さをもって生きることのできる幸いなのだと。そのことを信じつつ、今日の一日を活かされていきたいと願わされた次第です。
 
どうか皆さんの一日が、神の息吹によってフレッシュなものでありますように。お祈りいたします。

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