26/04/2023

2023.4.26(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
エレミヤ書33章11節
喜びの声と楽しみの声、花婿の声と花嫁の声、『万軍の主に感謝せよ。主は恵み深く、その慈しみはとこしえに』と言って感謝の献げ物を主の神殿に携えて来る者たちの声が聞こえるようになる。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
テトスへの手紙2章11節
救いをもたらす神の恵みはすべての人に現されました。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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救い主イエスの復活18日目を迎えました。
 
今日はこれから、仙台にあるキリスト教主義学校のひとつである、尚絅(しょうけい)学院中高へ出かけます。朝おこなわれる礼拝でメッセージをするためです。昨年から月一回、中高生の前で聖書のお話を担当させてもらっていますが、毎回緊張します。自分自身が中高生のときに、朝礼とかをどんな気持ちで聞いていただろうか。そんな思いをもちながら、その場に立っているような気がします。
 
私はキリスト教主義学校に進学したわけではありませんから、学校の朝礼はいつも、校長先生によって話されていたわけですが、私が中学生のときに校長を務めておられた先生の一言が忘れられません。それは「私は3分以内で話しますよ!」というものでした。そして、その3分以内で話す内容がいつも楽しく、面白く、またためになる話で、3分が1分に思えてしまうような話でした。校長先生は人のうけを狙おうとして悪ふざけしていたわけではありませんでした。ただ、真剣な思いがいつも伝わっていました。こういう人に私はなりたい。大昔に感じたことが、今でも説教者としての基本のひとつに立っているような気がするのです。
 
聴いた時に幸せになれるような話。聖書という一冊の書物に込められた神の言葉というものは、そういうものなのだろうと私は思います。もちろん、耳の痛い話もあることは事実です。しかし、耳の痛さを通して、最終的には神の幸いというものを知ることができるのではないか。私はそんなことを心から願います。
 
そういう意味で言うと、今日の旧約聖書の言葉であるエレミヤ書の一節は、神によるエルサレムの民への救いと幸いを提示しています。だが、しかし、その当時の民たちはおそらく「喜びを喜びとして受け取ることができない」状況にあったのではないかと思うのです。今や強国バビロニアが、自分たちを攻撃してくるかもしれない。そんな不安のなかで人々は不安の渦中にありました。
 
そんななかで、神の言葉を預かったエレミヤは、神に自分の心を向けることへの警告をいくたびも訴え続けました。しかし、警告と同時に発したのは、神と向き合うことで生まれる幸いだったのです。それが、今日示されている聖書の言葉に込められているメッセージです。聖書の言葉が耳痛く聞こえてくるなかでも、神はその言葉に触れる者ひとりひとりに対して、究極的に神とともにある幸いというものを提示しようとしてます。神とは、人々を決して恐怖に追い込むことを、その仕事とはしていないのだと。私は今日の聖書の言葉を通して、エレミヤが預かった神の言葉とはそういうものなのだと受け取りたいのです。
 
それが今や、イエスが命の犠牲と復活を通して、私たちの救い主となられたことで、全世界へのメッセージとなっていった。そのなかには、今日も身の回りのことで悩むかもしれない私も救いのむしろに招かれているのだと。ここに大きな慰めと励ましを得るのだと信じたいのです。
 
救いをもたらす神の恵みは、すべての人に与えられた。このことを胸にして、今日の一日を歩んでまいりたいと願います。皆さんの一日に、神の幸いを感じとる思いが豊かに与えられますように。お祈りいたします。

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