25/04/2023

2023.4.25(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編112編4節
正しい人には闇の中にも光が昇る
恵みに満ち、憐れみ深く、正しい光が。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二4章17~18節
このしばらくの軽い苦難は、私たちの内に働いて、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。私たちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

******
 
救い主イエスの復活17日目を迎えました。
 
昨日は私のことでご心配をおかけしました。多くのお祈りと励ましをいただき、とても嬉しいばかりでした。昨晩はしっかりと休みましたので、とても爽快な朝を迎えることができました。今日もいろいろと用事がありますので、そのひとつひとつに心を向けながら一日を過ごしたいと思います。どうぞ皆さんの一日にも、主なる神が豊かに臨んでくださいますように。お祈りいたします。
 
さて、今日の新約聖書の言葉にあったのは「見えないものに目を注ぐ」というものでした。見えないものをあえて自分の視力や感覚を集中することで、いろいろなイメージがわいてくるということがあります。
 
東京・浅草に青江覚峰さんというお坊さんがいらっしゃいます。この青江さん、とても異色な経歴の持ち主であり、アメリカでMBA(経営学修士)を取得された後、企業での勤務経験を経て僧侶になられた方です。現在は「料理僧」として、食べることの大切さというものを多くの方々に伝える活動をしておられます。
 
その青江さんが行っているイベントとして「暗闇ごはん」というものがあります。アイマスクをして、手探りで目の前に準備された料理を口に運び、味わい、それが何であるかを答えながら、最後はアイマスクを外してその正体を知るというものです。視力以外の感覚をフルに使いながら見えないものに目を注ぐことで、新たな発見をすることができる。そんなイベントなのです。私もおととし参加をして、とても素敵な経験を味わうことができました(NHKでそのときのことが放映されて、インタビューを受けた私の映像をご覧になられた方もおられるかもしれません。笑)
 
私はこのことを通して、見えないものに目を注ぐことの大切さというものを知ることができました。つまり、見えないものに目を注ぐとは、私たちならば誰でも持つ「固定観念・バイアス」というものから解放されるために、必要な作業なのだということをあらためて知らされたのでした。私たちが実際に見ることのできない神を、さまざまな知覚と感覚を通して心の眼で見つめていくという営みを、私たちはどのように経験することができるのだろうか。そんなことを想わされます。
 
形あるものはいつかは朽ち、壊れ、滅んでいく。しかし、永遠なる神はいつまでも生きて働き、私たちとともにいてくださり、私たちの心のうちにとどまってくださるならば、私たちの一時の苦しみもやがて消えてなくなることに、私たちの希望というものを寄せていきたい。そんな風に思わされた次第です。
 
今日も朝日とともに一日が始まりました。今日の旧約聖書の言葉にもありますように、神が注いでくださる陽の光が、私たちの心に神の視線として射しこんで、私たちのことを見つめてくださる。だからこそ、私もまた神を見つめながら、御言葉に聴き祈る生活を今日も営んでまいりたいと願わされました。
 
神の与えてくださる一切の恵みが、皆さんとともにありますように。お祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿