24/04/2023

2023.4.24(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編130編6節
私の魂はわが主を待ち望みます
夜回りが朝を、夜回りが朝を待つにも増して。

旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ユダの手紙21節
神の愛の内に自らを保ち、永遠の命を目指して、私たちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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救い主イエスの復活16日目を迎えました。
 
今日は早朝からしなければならないことがあり動いていたのですが、作業中から調子が悪いなと思って体温を測ったら、熱があることが分かりました。コロナ感染を疑いましたが、検査をした結果はただの風邪でした。身体を休ませたら、熱も下がり調子も戻ってきました。ここのところ日中と夜の寒暖差が激しく、仙台も今日の明け方は気温が5度でした。こういう時にこそ、体調管理が求められるとあらためて実感した次第です。そういうことで、体調も回復したところでの、夕方の黙想となりました。いつも楽しみにしてくださっている方には、配信が遅れてしまいましたことをお詫びいたします。
 
今日のふたつの聖句に共通するテーマは「待ち望む」です。新約聖書では、おそらく私たちがあまり読むことがないかもしれない「ユダの手紙」の一節が選ばれています。このユダの手紙が書かれた頃には、イエスが復活から昇天をされ、聖霊の降臨によってイエスを救い主であることを伝える歴史が始まって以来、人々のあいだで待ち望まれてきた「キリストの再臨」というものが、待てど暮らせどやって来ない。明らかに初期のクリスチャンと呼ばれた人たちの持っていたスタイルから変化が生じた頃に書かれた手紙であると言われています。
 
待ち焦がれる思いも、時代が過ぎると待つことに疲れてしまうということは、私たちの誰でも持っていると思いますし、当初の新鮮さであるとか熱意というものも失われてしまうわけです。いわゆる「マンネリ化」というものが、私たちの生活を取り囲んでしまうときに、あらゆるものが形骸化してしまう。もちろん、歴史の積み重ねによって生まれてくる熟成した状態というのも私たちの生活には必要ですが、フレッシュな感覚というものをいつも持っていることも大切だと思うのです。
 
今日の新約聖書であるユダの手紙には、私たちが待ち続けるために何が必要かということについて、とても興味深い一文があることに、あらためて気づかされました。それは「神の愛の内に自らを保ち」という言葉です。自分自身の新鮮さとか初心というものがいつまでも保たれるために必要とするのは神の愛なのだと、この手紙にしたためられている。私にとってこの言葉がとても新鮮に感じたのです。
 
望んでいることの答えがなかなか返ってこない。反応が無い時に、捨て去られているのではないか、忘れられ、見捨てられているのではないかと不安になることが、私もときどきあります。そういう時は大体体調がよくない時、心の調子がなんとなく思わしくないときにこそ、そういう不安に駆られることがあるのですが、そんなときに「私がいかに神によって大切にされているか」ということを、聖書の言葉に向き合ったり祈るなかで確かめる機会が与えられるのは、本当に幸せなことなのだなと思わされます。
 
今日はベッドでしっかり横になりながら、いろいろなことを思いめぐらしていました。こういうゆっくりとした時間のなかで休息を取りながら、神の愛に触れることのできるひと時を過ごす。心身ともに回復する大切な機会だなと思わされました。
 
夜警の人が夜明けを待ち遠しく待ち、やがて朝日が昇ったときに緊張感から解放される。待ち遠しく待つというのは、待つことに疲れてしまうという道もありながらも、自分自身の希望を確かめることのできる大切なときなのだと。そういう時を大切にしたいと、今日の聖書の言葉から思わされた次第です。
 
今、この黙想を書いているのは夕方5時前です。これから夜が訪れます。暗い夜を過ごして、また朝日とともに新しい一日がやって来る。どうぞ皆さんにとっての夜のひとときもまた、希望を感じることができるようなひとときでありますように。お祈りいたします。

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