22/04/2023

2023.4.22(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編39編5節
主よ、知らせてください、私の終わりを。
私の日々の長さ、それがどれほどであるかを。
私は知りたい、いかに私がはかないかを。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二5章1節
私たちの地上の住まいである幕屋は壊れても、神から与えられる建物があることを、私たちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住まいです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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救い主イエスの復活14日目を迎えました。
 
今日の聖書の言葉を通して思い浮かんだイメージは「私たちのはかなさ、そして神の与える永遠」というものでした。そのことを思いに留めつつ、御言葉に聴いてまいりたいと思いました。
 
今日の旧約聖書の言葉は、ダビデ王によって歌われた詩の一編です。ダビデほど祝福され、一国の王としての権威を持っていたとしても、彼は知っていました。自分に与えられているものは限界があるのだということをです。人はいずれか死に向かう。そのなかでダビデは神に尋ねました。今日の御言葉の後でも、ダビデはこう歌っているのです。「私の寿命など、あなたの前では無に等しい」(6節)。
 
一見すると、ダビデ自身は自分の人生における空しさ、はかなさを嘆いているようにも読める聖書の言葉です。この話題については、ダビデよりもむしろその息子であるソロモンが「コヘレトの言葉(伝道者の書)」で述べているのが有名ですが、私は、ダビデが6節の言葉でこのようなことを語っているときに、必ずしもネガティヴな意味で言っているのでもないのではないか。そのように思ったのです。
 
ダビデは、常に自分自身の向き合う相手である神を意識して、言葉をつむいでいます。神との関係性において、自分の立ち位置を確かめていくというものです。だからこそ、神様、あなたの御前では、自分の寿命やその期間のなかで得るすべてのものは無に見えるくらい、あなたは偉大な御方ですという、信仰告白にも思える言葉なのではないか。そう思ったのです。
 
あなたがおられるからこそ、私の人生がある。もちろん、私たちはそれぞれ自分自身の人生を営んでいますから、それは神と関係しなくても生きていくことは可能でしょう。しかし、私たちは日々の生活の各所各所で、空しさやはかなさというものを知るときに、その限りあるものをも永遠のなかで育み、そして支えてくださる神がともにおられるのだと。そういうことに気づきながら一日を歩めるならば、少しでも豊かなものになるのではないだろうか。私はそのように思わされました。
 
そのことが、今日の新約聖書である第二コリント書の言葉にも書き記されています。どんなに立派な材料で家を建てたとしても、朽ちるときは朽ちるし、崩れるときは崩れるというのが、私たちの世界の限界です。この手紙を書いたパウロもそのことを自覚していました。だからこそ、彼は神に向き合います。神の与える永遠のなかで生かされる幸いというものを、パウロは手紙を通して、コリントにあるひとりひとりに伝えたかったのです。
 
週の7日目のこの日が、明日への備えとなる素敵な一日でありますように。主の永遠のなかで与えられる幸いのためにお祈りいたします。

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