20/04/2023

2023.4.20(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
列王記下19章34節
(主は言われた。)私はこの都を守り、これを救う。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書12章32節
小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

******
 
救い主イエスの復活12日目を迎えました。
 
昨日、代務教会の聖研祈祷会で、ある方からこんな質問を受けました。「復活体験と聖霊体験は違うのですか」と。質問された方は、聖霊体験を大変重んじおられる方なのですが、お話を伺いますと、復活体験も聖霊の働きなしにはなしえないのではという趣旨のご発言でした。復活体験も聖霊体験も切り離して考えられるものではなく、神の救いという大きな枠内のなかで連動していることをお話しました。復活とは決して死後の世界だけを語っているのではなく、私たちの生活のただなかにも、救い主イエスのご復活がもたらす恵みというものは確かに、そして明らかにあるのだと。そのことを理解するために、聖霊なる神が働いてくださるのだと私は考えています。
 
さて、今日の旧約・新約聖書に共通するのは、神による守り・救いというテーマであると私は受け止めているのですが、今日の聖書の言葉には「都」「神の国」という言葉とつなぎ合わせながら、守りとか救いという言葉が語られています。都にしろ神の国にしろ、政治的な支配に関係のある言葉です。
 
つまり、神の守りであるとか救いという言葉は、王として立たれる私たちの神が、私たちをゆがんだ支配の渦に巻き込むのではなく、あくまで私たちの幸福のために良い政治をおこなってくださる、そういう支配をイメージさせるものだと私は思います。
 
だからイエスは言われました。「小さな群れよ、恐れるな」と。どんなに治める民が優秀でなかったとしても、あまりにも守るには見劣りするような存在であったとしても、どんなに小さく弱くとも、そういうひとりひとりを神は守られる、幸福のために治められる。だから、恐れなくても良いのだよと、イエスは語られました。
 
イエスは、私たちの父である神が「喜んで」神の国をくださると言われました。そう。神の守りや救いというものは、それがもたらされる側の私たちが喜ぶことはもとより、神御自身の喜びというものが伴っていることを、私たちはこの御言葉から聴くことができます。守ろうとする愛する人が喜んでいる姿を見ると、守る側はとても嬉しい気持ちにさせられることをイメージしています。「あなたの笑顔が見たいから」というキャッチフレーズがありますが、まさに神はそういうことを喜びながら、私たちに自分のものを惜しみなく与えてくださるのだと。それが生きる命であり、日々の生活で味わうひとつひとつのことだったり、そして救い主、復活の主イエスなのだと。
 
今日の聖書の言葉に導かれた「第三のテキスト(ドイツ語原著)」は、ボヘミア兄弟団による詩でした。その一節にこんな文があります。
 
多くの逆境に耐えなければならなかったとしても
絶望してはいけません
主はすべての苦しみからあなたを救うのですから
 
多くの苦しみで神の喜びも、守りも救いも見えなくなることが私たちにはあると思うのです。しかし、絶望してはならないのだと。神は必ず私たちにとってベストのタイミングでそのご支配を明らかにされて、私たちを喜びへと導いてくださるのだと。そのことを私も胸に刻みつつ、今日という一日を歩んでまいりたいと心から願わされました。
 
どうぞ皆さんの一日に、主なる神の喜びがともにありますように。お祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿