19/04/2023

2023.4.19(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ゼカリヤ書8章13節
私があなたがたを救い
あなたがたは祝福となる。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二3章5節
何事かを自分のしたことと考える資格は、私たちにはありません。私たちの資格は神からのものです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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救い主イエスの復活11日目を迎えました。
救い主イエスのご復活は、まさに私たちひとりひとりに与えられた「祝福」に間違いないのですが、今日の旧約聖書の言葉は、神の救いによって、私たちが祝福「そのもの」となるという、なんとも興味深い表現だなと私は思いました。
 
祝福は与えられる与えられないということではなく、祝福そのものであるという考え方は、私たちをつくられた神が祝福の源であり、私たちが神から生きる命をいただいていること自体がすでに祝福であるというところに、今日の聖書の言葉を読み解く大きなポイントがあるような気がしてなりません。
 
旧約聖書・申命記にはしばしば「祝福と呪い」という言葉が登場します。神の掟を守れば祝福が、守らなければ呪いがというような読み方ができてしまう聖書箇所です。もちろん、神の掟を大切に守ることは重要でしょう。しかし、この言葉はややもすると、神の祝福というものが、私たちの掟を守るという努力の結果としていただけるものなのだというような理解もできてしまうわけです。
 
しかし、それは「業績主義」であると私は思います。一生懸命頑張ったから褒美をいただける、頑張らなかったから呪われるといった、私たちの能力や努力に重きを置くような聖書の読み方というものを、今日の「あなたがたは祝福となる」という言葉は打破してくれる。そもそも神は私たちを「祝福そのもの」となるべく創造され、今日まで導いておられるのだと。そこには私たちの業績や努力が中心に立つのではなく、あくまで祝福の源である神が、私たちのが真ん中に立つ。私は改めてそのことを受け入れたいと思いました。
 
宣教者であるパウロが批判を受けました。「あなたに何の資格があって使徒を名乗っているのだ」と。教会内で「あなたに何の資格があって牧師を名乗っているのだ」と言われたら、つらいだろうなと私自身思ったりするわけですが、パウロはここで「資格は神からのものである」という応答をしています。私は、このパウロの言葉を「神から与えられた資格をもって働いているのだから敬え」とか「言うことを聞け」ということを言いたくて、そのような資格の由来について語ったとは思えません。
 
資格は自分の立ち位置を補強するための言葉ではなく、資格そのものが神からの祝福であって、資格を有するということは、その祝福が祝福として私たちのうちで共有されることで、神を賛美し、あがめるということに直結するのだと、私は今日の言葉をとらえたいと思いました。神が私たちを祝福で満たすために、今与えられた立場や賜物というものを心から大切にしながら、それを与えてくださった神に感謝しつつ今日という一日を過ごしたいと願います。
 
どうぞ皆さんの一日に、そのような神の祝福が豊かに、ともにありますように。お祈りいたします。

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