02/04/2023

2023.4.2(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
エレミヤ書31章13節
私は彼らの嘆きを喜びに変える。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書5章4節
悲しむ人々は、幸いである
その人たちは慰められる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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四旬節(レント)6回目の日曜日を迎えました。レント最後の日曜日であり、本日から「受難週」に入ります。イエスが十字架の苦しみの極みに立たれた。そこに至る道のりを、私たちは聖書の言葉に聴きながら、歩んでまいりたいと思います。
 
私たちの悲しみ、そして嘆きとは一体何だろうか。そんなことを想う本日の聖書の言葉に出会いました。私たちの悲しみは、時にとどまることを知りません。この悲しみから解放されたいと願っても、なかなかそうならない。そんな自分自身に嘆きます。それは、たとえ救い主がおられるということが分かっていたとしても、そんな思いをすべてかき消してしまうくらい、自分自身の思いが募り、あらゆる希望をなぎ倒してしまうくらいに勝ってしまうものなのだと。
 
自分自身の十字架を背負うとは、おそらくそのような感覚を自分自身のなかに置くことなのかもしれません。この世の不条理に悲しみ、自分自身ではどうにもならない出来事に悲しみ、そのような状況に耐えられない自分に悲嘆するのです。この悲しみがあるからこそ、神が、そしてイエスが本日の御言葉にもあるように、嘆きや悲しみというものを引き合いに出して、私たちに大切なことを伝えておられるのだと、私は受け止めたいのです。
 
神が語られることは極めてシンプルです。神は私たちに自分の決意を示されます。嘆きは必ず喜びに変えるのだ、いや変えたいのだと神は私たちにご自身の意志を訴えます。それが私たちには、いつそうなるかは分からないから悶々となるのです。しかし、神のその意志は必ずや実現するのだ。神はそのことを救い主イエスにすべてを託されたのでした。
 
そのイエスが人々に告げられます。悲しむ人々は幸いであると。この幸いというのは、可能性であるとか、条件付きの仮定でもありません。あなた方はもうすでに幸せになっているのだという断定の意味で語られています。なぜならば、あなたがたの目の前には私がいるから。イエスはそのように悲しむ人々に告げられたのでした。
 
人々はイエスによって慰められます。イエスの言葉によって、イエスが人々に対してどのように出会い、接し、食卓を囲み、そして私たちをご自分の愛で愛してくださったかを、私たちは聖書の言葉から慰めを受けることができるのだと。イエス・キリストがおられるということ、そのことが唯一の慰めなのです。
 
ハイデルベルク信仰問答の問1には、このようにあります。
問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。 
答 わたしがわたし自身のものではなく、
身も魂も、生きるにも死ぬにも、
わたしの真実な救い主
イエス・キリストのものであることです。
この方は御自分の尊い血をもって、
わたしのすべての罪を完全に償い、
悪魔のあらゆる力からわたしを解き放ってくださいました。
また、天にいますわたしの父の御旨でなければ、
髪の毛一本も頭から落ちることができないほどに、
わたしを守ってくださいます。
実に万事がわたしの益となるように働くのです。
そうしてまた、御自身の聖霊によってわたしに永遠の命を保証し、
今から後この方のために生きることを心から喜ぶように、
またそれにふさわしいように整えてもくださるのです。
 
まさに受難週を歩む私たちひとりひとりに語りかけてくださるイエスが、私たちとともにおられることを、この問答は物語っている気がしてなりません。私たちはイエス・キリストのものとされていることを心に刻みつつ、今日という一日を、そして受難週の日々を歩んでまいりたいと思います。
 
みなさんの日々に、主の豊かな守りと祝福がありますように。お祈りいたします。


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