01/04/2023

2023.4.1(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
サムエル記上12章22節
主はその偉大な御名のゆえに、ご自分の民を決しておろそかにはなさらない。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
テモテへの手紙二2章13節
私たちが真実でなくても
この方は常に真実であられる。
この方にはご自身を
否むことはできないからである。

『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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四旬節(レント)34日目を迎えました。そして、私たちは4月を迎えました。4月始まりならば新年度を迎えました。新しい進路や区切りを迎えた方もおられるかと思います。私も仙台での2年目の生活が始まりました。牧師職も18年目を迎えました。そして、明日から私たちはレントのクライマックスである受難週を迎えます。その備えの1日として、今日という神が与えてくださった時を過ごしてまいりたいと願いつつ、ローズンゲンをひも解きたいと思います。
 
さて、本日の新約聖書に記されている「この方」とは、救い主イエスのことを指すわけですが、「私たちが真実でなくても、この方は常に真実であられる」という言葉に引き寄せられました。今日がエイプリールフールだからというわけではなく、私たちはそもそも真実に生きるということがいかに難しいかというのを、肌身で実感しているのではないかと私なんか思うのです。真実に生きるというのは、単に嘘をつかなければそれで良いというレベルのものではなく、この世の現実に眼をそむけることなく向き合い、何事にも真摯であり、人に対して常に平和の思いをもってふれ合うことにまで、その範囲が及ぶのだと私は考えます。
 
私自身を見つめます。自分の思い通りに振舞い、都合が悪くなれば簡単にその場から逃げ、真摯であることにストレスを積み重ね、すぐに人を蹴落としてしまうような言動を繰り返す。そしておまけに嘘やごまかしをしたくなる自分自身をすぐに発見してしまいます。それがエイプリールフールのようなユーモアならばまだまだ許されるのかもしれませんが、真実でない私自身が、さも真実であるかのような生き方を披露して、それを人に見せびらかすようなことがあるならば、それこそ真実ではないのだと。自分自身の愚かさというものを実感します。
 
だからこそ、私たちが真実でなくても・・・という言葉が心に響きます。私たちが真実でないからこそ、イエスご自身が私たちにとって真実であり続けてくださるのだと。この方が真実であるがために、私たちはイエスを心に刻み、イエスとともに歩むことができるのだと。私たちがたとえ真実を否んでも、イエスは真実から逃れ、否むことなく十字架への道を進まれていった。それは「私はいる」という名前の通りに私たちを決しておろそかに扱われない神の姿そのものなのだと。こういう真実を身にまとって、この方の真実で今日の一日を歩みたいと願わされました。
 
どうぞ皆さんにとってのさまざまな意味を与える一日が、主の真実によってすてきな時でありますように。お祈りいたします。

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